相対性理論概説

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特殊相対性理論

後に、より包括的な理論として一般相対性理論が提唱されたので、特殊相対性理論と呼ばれるが、最初から特殊と呼ばれていたわけではない。これは、加速度を持たない系 (system) に適用される運動理論である。

相対性理論は、A. Einstein (1879-1955)の論文「運動する物体の電気力学」(1905)の発表に始まる。これは加速度を持つ系を扱わない、制限された範囲へ適応される運動理論であった。これは Newton 力学的世界観の枠組みを抜本的に変更した。古典物理学的常識からは直感的には受け入れ難い二つの原理を採用し、そこから世界が組み立てられて行く。

光速度不変性の原理
光の速さの観測値は、観測者の相対運動によらない。
Einstein の相対性原理
加速度を持たない相対運動する系同士では、物理学法則は不変である。

相対性理論は、Maxwell 電磁気学を土台とする光の電磁波説を、Newton力学的波動で説明しようとした失敗を苗床として成立した。古典物理学の極限までの推進とその破綻が相対性理論を生んだ。

Newton 力学的世界観においては、光が波動であるならば、当然それが伝わるもとになる物質として媒質が必要となる。音波が伝わるには空気が、水面の波紋には水が媒質として必要だ。光が伝わる媒質は、古代ギリシアにおける究極物質の名をとってエーテル (Either) と名付けられた。19 世紀末物理学は種々の困難に直面しながらも、エーテルの物性を明らかにすることで、力学的世界観を完成させようとしていた。

しかし、Michelson-Morley の実験 (1881-1887) によって光の速さはエーテル中の相対運動や運動方向に依存しないことが実証された。

水面の波ならば、川の流れに従う場合、逆らう場合、垂直に進む場合とで波動の伝わる早さが変わる。空気中の音波の場合でも、ドップラー効果のように媒質と音源との相対運動によって伝播速度が変化することを確認できる。地球はエーテルに満たされた宇宙空間を時速10万キロで公転運動し、1667キロ/時で自転しているので、光の進む方向によってエーテルに対する相対速度が変わり、それを観測できるはず。南に進む光、東に進む光、西に進む光では、同じ距離を進むにしても伝播速度(光の速さ)が変わるはず。

しかし、精密な実験を6年に渡って断続的に繰り返した結果、光のエーテルに対する相対運動は観測されなかった。光は Newton 力学で説明できる力学的波動ではなかった。これを説明する為に、 Lorentz らは「物体はエーテル中を運動するとき、長さが進行方向に縮み、時間の進み方も遅くなる」と主張することでエーテルの概念を保存し、力学的世界観を保持しようと試みた。これがローレンツ収縮だ。

一方、 A. Einstein は、「エーテルの物性が観測できないなら、エーテルという概念は不要だ」と主張し、運動する物体の自由度として空間に時間を加えた。即ち、ニュートン力学の座標系である「3次元ユークリッド空間と、一様に進む時間」を廃棄して、「時間+3次元ユークリッド空間」を座標に採用した。時間を運動する物体に独立して絶対的尺度として考えるのではなく、運動する物体固有の自由度の一つと考えた。

時間の進み方が運動によって変化するということは、「ニュートンの絶対時間とエーテルの否定」などの概念を除けば、数式上ではローレンツ収縮と同じ式で表されるため、ローレンツの再解釈に過ぎないともいえる。これが、アインシュタインが相対論でノーベル賞を与えられなかった原因だ。彼のノーベル賞は、光も粒子的性質を備えていることを示した光電子効果に対して与えられた。これは量子力学の発展に対して重要な業績である。

結果として、特殊相対性理論は電磁気学と非常に高い親和性を示した。つまり、過去に検証され成功した理論と矛盾せず、より包括的な視座を提供できたことを意味する。

特殊相対性理論によって、速さには光速度 (c = 3×108 m/s) という上限が決まった。時間は絶対一様なものではなくなり、過去/現在/未来という概念は近似的なものでしかなくなった。以降は、因果法則の届く範囲内を世界と考えるようになり、そこから外れたところが過去か未来だ。空間的に離れた場所では同時という概念はそれほど自明ではなくなった。

一般相対性理論

特殊相対性理論に加速度運動を加えたものが一般相対性理論だ。

ニュートンの万有引力の困難

特殊相対性理論は Maxwell の電磁気学と親和する。しかしニュートンの万有引力理論とは親和しない。というのも、ニュートン力学では重力は瞬間的に作用する遠隔作用として定義されるからだ。光速度を超える相互作用の伝播は特殊相対論に矛盾する。

これについては、ニュートンら経験論的帰納主義者とライプニッツ/デカルトら合理論的演繹主義者の間に議論があった。合理主義者らからは、因果法則としての合理的な近接作用だけで運動理論を構築してきたのに、遠隔作用は神秘主義的だとの異議が上がった。近接作用ならば、どんどん細部に分割していくことで、最後は最近接間の単純な相互作用に分解して理解することが出来るが、遠隔作用ではその間の仕組みがブラックボックスになってしまう。確かにそうなのだが、ニュートンの万有引力方程式は実験と良く一致したこともあり、採用されたという経緯がある。それから300年、やはり遠隔作用は誤りであることが示されることになった(但し、これを単なる誤りとして指弾することはまた誤りだろう)。

補足すると、ニュートンの万有引力には同時性問題がある。ニュートン力学は絶対時間とユークリッド空間上で構築されている。したがって、遠隔地間の「同時」は直感的に自明だ。遠隔地間で相互作用が同時に影響を及ぼすというのも、描像としてイメージすることはたやすい。しかし、特殊相対論によれば、時間は空間と同じように単なる座標軸の一つであり、遠隔地間の同時性はそれほど直感的、自明なことではない。

一方、運動の相対性を考えると、加速度運動ではGがかかるので、重力と同じだと考えられそうに思える。無重力空間上で加速中のロケット内と、重力の影響を受けた静止した地上を比べたときに、違いは何だろうか?何れの空間に置いた物体も等しく下方向の力を受ける。「違わない」が Einstein の答えだった。

非ユークリッド幾何学

ここで曲がった空間の幾何学が役立つ。ニュートン力学では、無限に平坦に広がるユークリッド空間を前提している。ユークリッド幾何学も、カント哲学などによって、ア・プリオリテな唯一無二の真なる幾何学、神の御名の完全を称える成果と見なされていた。このユークリッド空間の幾何学は古代ギリシャのユークリッドによる「原論」まで遡るが、古くから第五公準 (5th postulate)「平行線定理 (axiom of parallels)」が疑問視されていた。公準に採用するには複雑すぎるために、他の4つの公準から証明できるのではないかということだ。

一直線が二直線に交わるとき、 もしその同じ側にある内角を加えたものが二直角より小さかったならば、 二直線はこの方向へ延長してゆけば、かならず交わる。

他の公準が「直角はすべて相等しい。」、「任意の点を中心として、 任意の半径で円をかくことができる。」などなのだから、確かに第五公準は内部に構造をもっている。これを他の公準から証明できないか、或いは独立しているのかを明示する為に、背理法が提唱された。例えば、ロバチェフスキー、ボーヤイ、ガウスらは「平行線が二本以上引ける」としてアプローチしたが、矛盾を導き出せず、期せずして非ユークリッド幾何学が誕生した。これはロバチェフスキー幾何学と呼ばれる。続いてリーマン (Georg Friedrich Bernhard Riemann) は「平行線が一本も引けない」として非ユークリッド的なリーマン幾何学を構築した。

これらはリーマンとその弟子ヒルベルト (David Hilbert, 1862-1943) らによって整備され、実際の空間とは関係のない、数学上の擬似幾何学として受容されていた。

重力理論

Einstein はこの曲がった空間と表面の幾何学に目をつけた。重力の起源は質量/エネルギーだが、これが空間を曲げていると考えると、加速度運動と重力相互作用を受けた運動とを相対化できるというものだ。

グロスマン、ヒルベルトらの数学者の助けを借りて、 Einstein は曲がった空間の相対性理論を発表した (1913-1915)。ここでは、質量は空間を歪ませながらその空間を運動する、非常に特異な性質を持っていることになる。

この理論では、光は曲がった空間を「直進」する為に屈折して見えるはずだ。そしてこれは程なく実証された (1919)。現在では重力レンズと呼ばれる現象である。

まとめ

Einstein が打倒したのは次の二つ:

何れもカントによってア・プリオリな認識とされて、現実の世界を認識する基盤だったものだ。そのため、 Einstein は、専門的な物理学の研究者だけではなく、当時の哲学者らからも頑強な拒絶を受けた。 Einstein もその批判に応酬していたようなので、これも混乱の原因となったろう。

日常認識される世界は、絶対時間とユークリッド空間で説明できる。曲率無限大で閉じた空間を想像しても、その外側にユークリッド空間が広がっているものと考えてしまうのではないだろうか?時間の最初や最後を考えても、時間が終わった後や時間が始まる前を考えてしまうのは如何ともし難いと思う。しかし、 Einstein の相対論によれば、そのような時間が終わった後の時間、閉じた空間の外の空間と考えるのはナンセンスだ。「消えたロウソクの炎はどこへ行くのか」といったときにナンセンスであるように。物理学の世界では、時間や空間のように日常的で単純そうに見えることであってさえも、直感的に正しいことはどうやら正しくないのだ。

それでも、多くの観測事実が相対性理論を支持しており、有効な理論といえる。重力波を場の量子論と統合するところで矛盾が生じており、今後の課題となっているが、今日でもニュートン力学が有効であるように、相対性理論も有効でありつづけるのは間違いない。

疑似科学と相対性理論

疑似科学では相対性理論を「誤っている」とするものが多い。しかし、相対論がある部分で修正を必要としていることは周知かつ自明のことであり、一方で多くの観測可能な現象が相対論を直接的に支持している。むしろ矛盾する観測事実は無い。「相対論は間違っている」とする記事の多くが、観測可能ではないことや、単なるリテラルやノーテーションの変更に過ぎないことを主張して、「本質的変更」を主張していることはおこがましく感じられる。

付け加えると、多くの軟派系啓蒙書が「研究者の多くが相対論の深刻な問題をおざなりにしている」と指弾することがあるが、そこで採り上げられるトピックの殆どがたいした含蓄を持たない。そんなことは知っている。 science が pseudo-science と区別される条件は、有効か否かだと思う(実証可能性、或いは反証可能性を挙げる人もいる)。数式レベルの運用が行えて、目前のパズル解きが出来ることが最低限度の条件だろう。よしんば、有意義な成果を上げている研究者が、物理学基礎論に通暁していなくても、それがなんだというのだろうか。それだけ相対性理論が成熟している証でもある。例えば熱統計物理学の基礎論問題と区別されることではなく、どちらも信頼できるツールとして利用され、目に見える成果を上げている。

量子統計物理学の基礎論問題と異なる点は、相対論が空間と時間という、日常的な対象を扱っている点だろう。或いは統計物理学の困難は数学的な証明問題であり、相対論の場合は概念的と考えられているのかもしれない。いずれにせよ誤解だと思う。どちらもツールとして数学を用いるし、現実の対象を説明するという目的がある。観測によって有効性を検証され得ることも同じだ。


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