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人間精神が伽藍であれば、私のものは廃墟だ。
今週はこんなん読みました。
天草・島原の乱(1637)直後の長崎に潜入した若き宣教師の受難。中心部分は宣教師ロドリゴの書簡による一人称の語り。
弾圧され迫害される農民たちを見て彼は問う、「神よ、なぜ沈黙し続けるのか」。この悲劇に直面して、なぜ世界は轟音を立てて崩れ去らないのか。なぜ。人間の弱さ、信仰、神の沈黙。ぐいぐいと引っ張っていく筆力の強さが印象的。一方で、ドラマチックな展開は一本調子でもあり、思想的な深みにも達していないと思う。
いいところもある。筆力の豪腕振りには触れたが、裏切ろうとするユダに対するキリストの台詞「去れ、行きて汝のなすことをなせ。」の解釈は素晴らしいと思う。美しいもの、良いものを愛するのは簡単である。彼は血の畠で首を縊るユダを見捨てたのか?
気になるのは自己完結的な部分が多いところ、弱い人間として描かれるキチジロウをちゃんと使えていないところ。本書のテーマであろう、神が沈黙し続けること、ヨブの受難の意味、そして、十字架の上でのキリストの台詞「神よ、神よ、なぜ私をお見捨てになるのですか(エリ、エリ、レマ、サバクタニ)」。こういったことに正面から向き合って答えているわけではない。神は沈黙していなかった、語り続けていると言うけれども。
エピローグが、当時の文書の写し書きになっているのが読みにくいだけで興ざめ。
今週はこんなん読みました。
短編二つ。両方とも、性欲を罪として嫌悪し厳しく罰するもの。一人は嫉妬に駆られ、一人は心の姦淫の意識に苛まれる。
前者の独白の始まりはカミュの『転落』を思い起こさせたが、展開に共感できず。生活に対する嫌悪感からか。
一方、後者の欲望に抵抗し懊悩しながら屈するさまは圧倒的。これを性欲と訳しているが、これは性欲か?中島らもが世界で最も美しい病
と呼んだものではないのか?それにしても謎であることに変わりはない。理性の敵、魂の支配者。
ここには段階があると思う。それが、月を見てなんだあれはと思うことと、同じでないのが不思議でならない。なぜそれで済まないのだろう。更に、姿や声や匂いや好意を相手に求めることと性欲ともやはり違う。また、性欲とセックスも違う、と思う。ここに書かれているものを、情動と理性の相克と呼べば違和感はない。不思議だなぁ。
まあ、いい。生産的な議論はどこか別の場所でやってくれ。トルストイの主張がどうあれ、描写の冴えは素晴らしい。これが病であることに間違いはない。
美輪明宏が美しいと思うものを紹介。カラーの写真/イラスト多数で言葉遣いも優しい。女性向けに書かれている。基本的なトーンは、美しくなりたければ、美しいものを学びなさい、美しいものに触れなさいというもの。これを読むかどうかは別として、実践されている方も多いと思う。
最高のものを求め続けるのにはガッツがいる。幸せそうでないのはミットモナイ。人生はガッツとファイトとヤセガマン。とりあえず部屋の掃除でもするか。。。
地球上の生活は正負の法則に従っているのだそうだ。言葉遣いは結構きつい。美輪明宏のダンディズム。ここにあるのは人間万事塞翁が馬というだけではない。一人で生きていくために必要な知恵かもしれない。フィリップ・マーロウは言った。強くなければ生きられない。優しくなければ生きている資格がない。
人生で正負はゼロサムになるので、負の先払いが必要。正は忘れがちだが感謝が必要。何事も腹八分、腹六分。そんな感じ。基調のトーンは潔癖さ。幸と不幸は糾える縄の如し。やれ、さもなくば滅びよ。ドメスティックな中庸の勧めとも読めるが、矜持を持って距離をとり、人に依存しない生き方の勧めと思う。
まあ、メッセージ性は強いにしても、なにか新しいことを言っているわけではない。散文だから、共感するもしないもご自由に。
一月ぶりだけれども、その間、こんなん読んでました。
Galapagos, 1985.
初期のヴォネガットと比べると成熟した。恥や絶望が薄くなったと思う。完成度は高いのだ。
Slaughterhouse Five or The Children's Crusade, (1969)、God Bless You, Mr. Rosewater, (1965) を傑作と推す人は、これを読んで、やや違うと思うかもしれない。
強烈なセンテンスが。言葉の圧力が。云い足らないもどかしさが。それがない。あれは若気の至りゆえの絶望だったのか。円熟とは悲しいことなのだろうか。
ヴォネガットとしては、かっちりと構想されている。技術も上がっている。書きたいこともうまく表現できるようになっている。ああ、でも、この本も悪いわけでは決してない。ヴォネガットはヴォネガットだ。
Murder on the Links, 1923.
ポアロもの。女性の描写が冴え渡る。
Why Didn't They Ask Evans?, 1934.
ノン・シリーズもの。若い男女の推理活劇。好ましいねぇ。憩いたい人、どうぞ。
らもの持つ一面の濃縮。これはこれで、よい小品。
一人の人間の一日には、必ず一人、「その日の天使」がついている。
絶好調のときは気づかなくても、絶望的な気分のときは、その日の天使が差し遣わされていることに気づきやすいのだそうだ。
The Currents of Space, 1952. 銀河帝国の前身であるトランター帝国が席巻する宇宙の辺境惑星が舞台。まあまあだけどよくないように感じた。平井イサク氏の訳も悪い。
舞台は日露戦争から10年弱の貴族社会。主人公清顕と聡子の悲恋もの。春の雪。不可能の言い換え。降ってもすぐに消えてしまう儚いもの。
雅の極致。あたかも源氏物語の翻案のよう。清顕は光源氏で聡子の印象は葵上かな。最初は主人公がかわいそうで仕方なかった。
全編通して、過剰で虚ろ。言葉足らずのもどかしさ。三島は饒舌で美しい描写で麗々しく飾り立て、圧倒的な言葉の洪水で、微かに予感されるなにかを押し流している。月面の荒涼。熱に浮かされ書き急ぐような。真理がすぐそこにあるのに迂回しているようなもどかしさ。雅とはそういうものか。
今週はこんなん読みました。
Absent in the Spring, 1944.
時としてものすごい本がある。これもその一冊だ。
春にして君を離れ―
From you have I been absent in the spring,
When proud-pied April, dress'd in all his trim,
Hath put a spirit of youth in every thing,
That heavy Saturn laugh'd and leap'd with him.
Yet nor the lays of birds, nor the sweet smell
Of different flowers in odour and in hue,
Could make me any summer's story tell,
Or from their proud lap pluck them where they grew:
Nor did I wonder at the lily's white,
Nor praise the deep vermilion in the rose;
They were but sweet, but figures of delight,
Drawn after you, you pattern of all those.
Yet seem'd it winter still, and you away,
As with your shadow I with these did play.
William Shakespeare, Sonet XCVIII
汝がとこしえの夏はうつろわず―
Shall I compare thee to a summer's day?
Thou art more lovely and more temperate:
Rough winds do shake the darling buds of May,
And summer's lease hath all too short a date;
Sometime too hot the eye of heaven shines,
And often is his gold complexion dimm'd;
And every fair from fair sometime declines,
By chance or nature's changing course untrimm'd:
But thy eternal summer shall not fade,
Nor lose possession of that fair thou ow'st,
Nor shall Death brag thou wander'st in his shade,
When in eternal lines to time thou grow'st.
So long as men can breathe, or eyes can see,
So long lives this, and this gives life to thee.
William Shakespeare, Sonet XVIII
君を夏の日にたとえても
君はもっと美しくもっとおだやかだ
手荒い風は五月の蕾をふるわし
また夏の季節はあまりにも短い命。
時には天の眼はあまりにも暑く照る
幾度かその黄金の顔色は暗くなる
美しいものはいつかは衰える
偶然と自然のうつりかわりに美がはぎとられる。
だが君の永遠の夏は色あせることがない
君の美は失くなることがない
死もその影に君を追放する勇気はない
君は永遠の詩歌に歌われ永遠と合体するからだ。
人間が呼吸する限りまた眼が見える限り
この詩は生き残り、これが君を生かすのだ。
西脇順三郎 訳
祈るのだ。神はいないと念じながら。
今週はこんなん読みました。
Le Fantôme de l'Opéra, 1910. 早川の日影 丈吉 (翻訳)のもの。再読。
怪人の妄執。不滅のものがはかないものにひざまずく物語。
ウェバー卿の映画版(舞台版)は登場人物を大幅にはしょって物語も一直線にしてある。怪人もクリスティーヌもラウル君も、原作のほうが魅力的。
真っ向勝負の悲恋もの。大上段に振りかぶった破滅の物語。最後、全ての祝福が与えられたと思った怪人は死ぬのだ。思いを遂げた怪人は死ぬのだ。クリスティーヌが一緒に泣いてくれたということだけで。
ちなみに、怪人は出ずっぱりではない。特に前半では、噂話として、影としてその存在を示すだけで、その姿は中盤以降まで見られない。
Moulin Rouge, 2001. 出演:ニコール・キッドマン, ユアン・マクレガー, その他 。監督:バズ・ラーマン。
完璧。二コール・キッドマンもユアンマクレガーもよいが、Jim Broadbent のムーラン・ルージュ支配人も素晴らしい。セット、特殊効果、音楽、ダンス、俳優ともに非の打ち所がない、奇跡的な出来栄え。ロクサーヌのタンゴがよい。
That's Entertainment!, 1974. 出演: ジーン・ケリー, フレッド・アステア, ビング・クロスビー, その他。監督:Jack Haley Jr.。
昔の映画は上品でよい。涙が出てくる。フレッド・アステアの上品なダンスが見もの。もともとは MGM 創立 50 周年を記念して製作されたテレビ特番であったそうだから、そんなに期待してはいけない。
The Phantom of the Opera, 2004. 出演:エミー・ロッサム,ジェラルド・バトラー, その他。監督:ジョエル・シュマッカー。脚本・製作・作曲:アンドリュー・ロイド=ウェバー。
ロイド=ウェバーのミュージカルを原作にした映画。プロデューサも彼。小説原作ではなく、子爵のラウル君とクリスティーヌとファントムの三角関係色が強い。ラブロマンスものといってもよい。そういえば、ヒロインがヒロインとして描かれる映画は久しぶりかもしれない。ヘップバーンとか昔の映画にはよくあったもんだが。
目を引くところはある。絢爛豪華なオペラ座、仮面舞踏会の群舞。でも脚本と演出が悪いからダメだ。日本語字幕は軽薄でいただけないので、英語字幕か字幕なしで見るべき。ファントムオブオペラって、なによ。ファントムオブジオペラじゃなきゃいやだ。ほかにもいろいろ。字幕がすげーダメな映画。ヒロインの Christine Daaé がやけにかわいい。ファントムとラウルは歌がだめだからとりわけ引き立つ。おまえらは歌うならギターでも抱えてろといいたい。関係ないが、ガストン・ルルー (1868-1927) 原作の怪人にはエリックという名前がある。この映画では彼の名前が出てきていない気がする。
目を見張るところはある。でも、これはオペラ座の怪人。絢爛豪華なオペラ座の地下深く、だれも踏み入れることのない闇に棲むファントム。闇に輝く金色の瞳は、その力で千人を殺し、その怒りと呪いは地獄の業火でパリを焼き尽くす。鼻はもげて、黒い穴が開いているという、醜い化け物。彼が奏でる天上の調べ、魂を奪う悪魔的な音楽の美。オペラ座の闇に潜む狂人。それがオペラ座の怪人じゃないか。
『オペラ座の怪人』がセットの華美にしか見るべきものがないとはなんとも皮肉だ。
DVDだと、ミュージックチャプターってのがあって、全曲再生できるので、これを英語字幕か字幕なしで見るのが一番よい見方だと思う。
----ここからネタバレ。----
この映画は脚本/演出がダメだからダメなんだけど、エンディングはよかった。ファントムがラウルを捕らえてクリスティーヌに迫る。
So do you end your days with me, Or do you send him to his grave?
Angel of music, you deceive me....God give me courage to show you, you are not alone.
そしてファントムとキスするんだけど、これはつらい。ラウルにしてみれば、好きな人がほかの人とキスしているところは辛くて仕方ないだろう。ファントムしてみればもっと残酷。好きな人の思いが自分に向いていないのに、それ以外の理由で好きな人からキスされるのだから。絶望してファントムは去るんだけど、無理もない。よくその場で死ななかったものだ。
その前に、オペラ座の屋上でラウルとクリスティーヌがキスするのを、ファントムが影で見ているシーンがある。ラウルとファントムの力関係が逆転するシーンで、やはりファントムは絶望して呪うんだが、その逆をやっている。どっちにしてもファントムは絶望するんだけど。。。
でも、この映画全体を通して見ると、ファントムは横恋慕して蹴落とされる滑稽なストーカーだ。だから通して見てはいけないのかもしれない。原作では、もっとひどいんだけど、全体を通したトーンが惨めで哀れだからな。
とはいえ、目を見張るところはある。自宅で見るなら、大画面、大音量、英語字幕/字幕なし。ミュージックチャプターでミュージカルシーンを通して見るのが、筋は分かるし、一番よい見方だと思う。
Funny Face, 1959. 出演: オードリー・ヘップバーン, フレッド・アステア, レイ・ジューン, その他。監督:スタンリー・ドーネン。
ヘップバーンとアステアをくっつけて歌と踊りがあれば満足でしょう?というひどい映画。話の筋も展開もでたらめでむちゃくちゃ。でも、アステアの傘とコートを使った闘牛のダンスとか、ものすげえものが見られる。お安い企画に腕利きを集めたもんで、とんでもない快作に仕上がったなんともバランスの悪い映画だ。一見の価値あり。
Fear & Loathing in Las Vegas, 1998. 出演: ジョニー・デップ, その他。監督: テリー・ギリアム。
ベネチオ・デル・トロ、クリスティーナ・リッチ、キャメロン・ディアスほか競演。主人公ラウルをジョニー・デップってのは、なかなかいかしている。ハンター・S・トンプソンの小説の映画化だと思ってみないとつまらない。しかし、ドラッグ映画というのは期待外れが多い。この映画はモノローグが多いので、そっちに注目した方が良い。
今週はこんなん読みました。
Breakfast of Champions, 1973. 鬱屈したキルゴア・トラウトというSF作家がヒッチハイクする話。もしくは、ストレスを抱えたドウェイン・フーヴァーという地方都市のポンティアックの販売代理店の社長が遂に発狂して暴力を振るう話。
意固地なキルゴアは変人だが変ななりに普通。変人が卑屈であったり意地悪であったりするのは普通なことだ。ドウェインのストレスはこの生が、もしくは世界が無意味であったらどうしようというもの。やけに高尚なストレスじゃないか。その原因は脳に作用する有害物質のせいだそうだ。体内の化学的なバランスが崩れていたと。
動く指は書き、書き終わりて去る いかなる信仰も知恵もその半行とて 削ることかなわず、すべての涙も その一語すら洗い流すことあたわじ
裕福なフーヴァーは奥さんを愛し切れなかった男、妻に自殺された夫。貧しいキルゴアも三度妻と別れている。二人とも人を愛せなかった人たち。有害物質で汚染されて発狂寸前のドウェインは、キルゴアの三文小説に描かれた有害思想に汚染され、具体的に発狂する運命にある。なぜなら、作者がそのように書くからだ。と、この本は始まる。
Deadeye Dick, 1982. 『チャンピオンたちの朝食』と同じ町ミッドランド・シティを舞台に、かつて妊婦を撃ち殺した薬剤師の述懐が続く。彼は侮蔑をこめて「デッドアイ・ディック」と呼ばれる。
狭い町でみんなが家族を、自分を、自分の罪を知っている境遇を描いた?中性子爆弾で人だけがきれいにいなくなるんだけど、そうなったらいいなぁって?一冊書くほどの思い付きではないなぁ。あまり面白くない。いや、面白いのだ、読んでいるときは。言葉遣いもテーマも気に入っている。従来の主題の変奏曲の一つ。普通。
Charlie and the Chocolate Factory, 2005. 出演: ジョニー・デップ, その他。監督: ティム・バートン。
もう一歩。あと一歩でサブカルチャーの伝説のひとつになれたのに。
ジョニー・デップもティム・バートンも好きなのだ。ヘレナ・ボナム=カーターにノア・テイラー、デヴィッド・ケリー、みんな born to be a movie actor/actress じゃないか。
狙いは悪くない。よかった。でも、あと、一歩。ジョニー・Dもティム・バートンも適役だと思う。誰かがどこかで手を抜いたんだな。ジョニー・Dではないと思う。
$10-拾って、Golden Ticket目当てにお菓子屋さんに一目散のチャーリーには、文句を言ってもしようがない。後の四人のお子さんたちが陥る罠(?)も陥り方もその結末も文句は言うまい。高慢/嫉妬、憤怒、強欲、暴食/怠惰か?色欲はないな。チャーリーは子供だからな。そこら辺はどうでもよいことなのだ。四人の子供に罪はない。みんな高潔だった。一人間抜けだったけど、なんか善良だったし。
子供のころ、田村隆一訳の『チョコレート工場の秘密』は一番好きな本だった。でも、この映画はそれとは別のもの。ウィリー・ウォンカという圧倒的な個性というか、傍若無人ででたらめなキャラクタを描くもの。が、足りない。足りないよ。それじゃダメだよ。
ジョニーはしょうがない。よくやった。でも脚本/演出に見せ場がないんじゃ役者にはしょうがないじゃないか。コンセプトは適役だったのに。。。ティム・バートン、お前の得意分野じゃないか。平行して撮ってたコープス・ブライドと掛け持ちして等閑になったか?ウォンカとジョニーという切り札を握って手抜きしてるんじゃないよ。世界観は相変わらず素晴らしいのに。あと一歩なんだよ。メルーヒェンでブラックな世界でジョニーが演じる奇人/変人。悪くなりようがないじゃないか。それなのに。。。
ケチの付け難い映画だ。でも凡作だ。愚作/駄作とは言わないが。惜しい、惜しすぎる。
あと、どうでもよいことだけど、六本木ヒルズで見た。アロマトリックスとか云う仕組みで、チョコレートのにおいがしたけど、キャラメル・ポップコーンのにおいと混ざって普通だった。製造元では、「チョコレートの香りを劇場に流しています。試写会では、まるでチョコレートの川を一緒に進んでいる感覚を得ていただけました。」ってさ(w
De battre mon cœur s'est arrêté, 2005. 主演:Romain Duris他。監督:ジャック・オディアール。
Aure Atikaって好みだなぁ。。。
ハーヴェイ・カイテル主演の『マッド・フィンガーズ』('78) をリメイクしたそうだ。悪かないんだけど長さを感じさせる。同じ日に見た『~チョコレート工場』より感じるところのある映画なんだけれども。背中を丸めて肩で風切って映画館を出る。そんな感じ。いいところは、ワンシーンごとの描き方。たとえば、失意の主人公が明るい町に出て呆然とするんだけど、あるよね、そういうこと。世界が轟きとともに崩壊してくれれば納得できるのに、なんでこんなに普通なんだと。
ご都合主義の主人公がピアノを練習する映画。ホントに予定調和でご都合主義。情けなくって涙が出る。でも良い映画で、肥やしになると思う。映画という媒体を豊かにする一つの肥やし。悪くはないのだ。むしろ良い。たくさん見なきゃダメってこったな。こういう映画を10本見れば一本は当たりのはず。
今週はこんなん読みました。
The Da Vinci Code, 2003.
どうしようもなく流行った本。最初は薀蓄系新機軸としてちらほらと書評が出ていたが、程なくしてハリー・ポッター並みのブームになった記憶がある。気がついたら平積みになっていて、途中の経緯は覚えていないが、とにかく流行った。いまでも結構流行っている。2006年にはトム・ハンクス主演で映画になるそうだ。
いまどきにこの本を取り扱う例に漏れず、私も人から薦められたことがあったので読んでみたということだ。面白い。本格やミステリとして一流なわけではない。もちろん偉大な物語でもなければ新しいものを見せる試みでもない。しかし、読書が娯楽の一つになっている人ならば読んでも損はない面白い本だ。
本に対する態度はいろいろある。でも、この本を熱心に勧められると、たじろいでしまう。これほど評判になっている理由も正直分からない。小説としての価値や完成度の高さは見出せない。でも、確かに、面白いのだから、安心して人に薦めることができる。「面白かったよ」って。「安心」というところがポイントだ。
胸の悪くならない面白い本なのだ。頭を使わない。気持ちを傾けないで済む。だから、万人に安心して薦められる。文庫本ならもっとよいが、一方でハードカバーの満足感というものもあるかもしれない。
これは粗筋のためのものなのだから、メディアは本でなくてもよかった。漫画でもドラマでもハリウッド映画でも、形態は何であれ、この本の価値をいささかも損ねないだろう。粗筋さえ伝われば何でもよいはずだ。それがたまたま本だっただけ。作家の腕がとりわけ良いわけでもない。なにか圧倒的なところがあったか?きわめて単純なパルプフィクション。
これがとても流行った、強く勧める人がいるということに気持ちの整理がつかないが、面白いことは面白い。だがしかし・・・
面白いだけならば、たとえば阿佐田哲也の『麻雀放浪記』、たとえばJ.S.ミルトンの『失楽園』、シェークスピアの『マクベス』、村上龍の『昭和歌謡大全集』、などなど。
本に対する態度は人それぞれだから、何を好きになってもよい。本に対して期待するものも、期待しないのも人それぞれだ。読書は娯楽だ。そのとおりだ。退屈な人生を我慢しやすくするものだ。そのとおりだ。などなど。
本が流行るということは、普段本を読まない人が読むことを指している。普段から本を読む習慣のない人が読める本だから流行れるし、普段との差異が流行という現象となるのだろう。ハリーポッターもそうだが、キャッチーで、集中力も慣れも要らなくて、教養と感受性があれば楽しめる、常識的で単純で安全で親切な本が流行るのだと思う。常識的で単純で安全で親切な本が面白くないわけではない。ただ、逸脱のない本だけが流行るのがなんだか侘しい。
始まりはパリのルーブル美術館。一人の男が殺されるところから始まる。パリとロンドンに行きたくなった。『最後の晩餐 (The Last Supper)』はミラノだけど。
今週はこんなん読みました。
The Sirens of Titan, 1959.
ヴォネガットは言葉を選ぶのがうまい。表現を選ぶのがうまい。挿話がうまい。
「なにかわたしにできることは?」
英語で最も厭ったらしい、愚劣な表現なんだそうだ。そうとは言わないが、同感だ。でも、そういえる人は好きだ。好きな人にためらいなくそういえる人間になりたかった。
Cat's Cradle, 1963.
毎度救いがたい、というか、不可避な現実/事実にまで追い込むのだが、読み終わると元気になる。
ああ、そう、人生は無意味だ。自分が何を持っているのか数えてみれば、あまりの空白に呆然とするばかりだ。
人に、なにか、差し上げられるものを、持っていればよかったんだが。
BAGDAD CAFE, 1987. 出演: マリアンネ・ゼーゲブレヒト, その他。監督: パーシー・アドロン。
舞台は、アメリカのモハヴェ砂漠にある小さなモーテル。寂れた、何にもないドライブイン、いつも怒っている女主人ブレンダ、そこにふらりと現れたジャスミン。他にも変な人がいっぱい。追い出されるブレンダの旦那とか。
この映画はものすごく和む。こんなんだったらいいなぁと云うか。いい映画なんだけど快い程度にコミカル。見たことないなら是非見るべきだ。損はしない。
十年位前に一回見て、以来オールタイムベスト映画の一隅を占めてきた。他には、 パトリス・ルコントの『髪結いの亭主』、ギャロの『バッファロー’66』、ヴィム・ヴェンダースの『 ベルリン・天使の詩 』なんかがある。関係ないが、この映画は珈琲が飲みたくなる。だって、このドライブインではいつも壊れてるんだよ、コーヒーマシーンが。
隠喩にあふれた映像と繰り返し流れる挿入歌。ファンタジックというと誤解を招くだろうけれども。ジェヴェッタ・スティールの歌声が良い。音楽も映像も俳優もすばらしい良い映画。
Calling You
(Bob Telson)
** a desert road from vegas to nowhere
someplace better than where you've been
a coffee machine that needs some fixing
in a little cafe just around the bend
* i'm calling you
can't you hear me
i am calling you
a hot dry wind blows right through me
the baby's crying and I can't sleep
but we both know a change is coming
coming closer, sweet people
*' i'm calling you
and don't you hear me
i am calling you
*' (repeat)
** (repeat)
a hot dry wind blows right through me
the baby's crying and I can't sleep
i can't feel a change is coming
coming closer, sweet people
* (repeat)
Uhm.... (scat)
先週、先々週はこんなん読みました。
ブラムストーカーの吸血鬼ドラキュラに先行するゴシックホラー短編集。吸血鬼カーミラはっこに収録されている中篇。書き方が古くて途中で挫折。雰囲気は悪くないんだが、昔語りというか、村の噂話を集めたという感じ。悪くないんだが、カーミラまで読み進められなかった。。。
God Bress You, Mr. Rosewater, 1965. ハヤカワ文庫だけどSFではない。これは在りし日の偉大な物語ではないし、やがて解かれるべき大いなる謎でもない。始まって終わるあらすじとして偉大なわけではない。むしろ尻すぼみで今一な感も残る。淡々としているけど退屈しない。センテンスの強度が高い。密度が大きい。なんと云ったらよいだろう。上手く云えない。心が強く動かされるのだ。これをなんと呼ぶのだろう?
思わず嗚呼と嘆息して振り仰ぐのだ。それはロマンティシズムでもスペクタクルでもミステリでもない。シニシズムでもニヒリズムでも、スラップスティックでもない。悲劇でも破滅でも栄光でもないのだから、そこで神に祈るわけにも、呪うわけにもいかない。ただこう呟くのだ。「そういうものだ」
主人公は隣人愛に取り付かれた大富豪、エリオット。彼に電話をかけると、彼は優しい口調でこう応えるだろう。
「ローズウォーター財団です。なにかお力になれることは?」
Slaughterhouse-Five, 1969. かっては『屠殺場5号』の名前で出版されていた。屠殺という単語が部落問題と絡んで使えなくなってので、タイトルをカタカナにしたのであろうが、これで問題がなくなるのであれば変な話だ。
お話は戦争の話。主人公はビリー・ピルグリム。事件は第二次世界大戦のドレスデン空襲、大量殺戮。事件をめぐって時間と空間が行きつ、戻りつ、やがてその振幅は事件へ収束していく。沢山のものが破壊され、沢山の人が死んだ。
「そういうものだ。」("So it goes")
重苦しいわけではない。時間と空間が行きつ戻りつするけれども読みにくくはない。名人の手になる傑作だと思う。映画化されているそうだ。見たいなー。でも、Amazonで売ってないし、ビデオしか無いらしい・・・
Barbarella, 1968. 出演:ジェーン・フォンダ,その他。監督:ロジェ・ヴァディム。
伝説的なB級映画。\1,575- で再販されたので購入。期待以上の超B級で、ジェーン・フォンダの肢体は美しい。超と言っているのはB級を超えたと言っているのではなく、B級の極北ということ。これは確かに伝説になるな。
All That Jazz, 1973. 出演: ロイ・シャイダー, ジェシカ・ラング, その他。監督: ボブ・フォッシー。
It's show time, forks!
主人公は酒と煙草と女とドラッグ漬と仕事漬けの舞台監督。フォッシー自身がモデルだそうだ。ロイ・シャイダーかっこいい。
舞台のリハ中のダンスシーンが多く見ごたえがある。ストーリーもしっかりしていて、画面も綺麗でとてもよい。オープニングの公募オーディションシーンの "On the Broadway" と、最後のステージシーン "Bye Bye Life" は圧巻。こんなの舞台で見たら鳥肌が立つに違いない。すごい。
They say the neon lights are bright on Broadway [00:02:08] They say there's always magic in the air But when you're walkin' down the street And you ain't had enough to eat The glitter rubs right off and you're nowhere They say the woman treat you fine on Broadway [00:02:47] But lookin' at them just give me the blues Cos how you gonna make some time When all you got is one thin dime? And one thine dime won't even shine your shoes They say that I won't last too long on Broadway [00:03:36] I'll catch the Greyhound bus for home they all say They're dead wrong, I know they are 'Cause I can play this here guitar And I won't quit till I'm a star On Broadway They say that I won't last too long on Broadway... But they're dead wrong, I know they are Cos I can play this here guitar And I won't quit till I'm a star... ...till I'm a star On Broadway...
すばらしい。
Bye-bye life [1:50:52] Bye-bye happiness Hello, loneliness I think I'm gonna die I think I'm gonna die Bye-bye, love [1:51:39] bye-bye, sweet caress Hello, emptiness I feel like I could die Bye-bye, your life, goodbye Bye-bye, my life, goodbye Bye-bye, your life, goodbye ...
Lets's go on with the show!
Star Wars Episode III: Revenge of the Sith, 2005. 出演:ユアン・マクレガー,ヘイデン・クリステンセン,その他。監督:ジョージ・ルーカス。
二時間半くらいだったかな?まあ、1977年の『エピソード4/新たなる希望』(Star Wars Episode IV: A New Hope) につなげるために無理したんじゃなかろうか。イベントてんこ盛りで、迷ったり煩悶する暇なく、どんどん処理されている。次はなんだ!?って感じ。わんこそばみたいだよ。
あまり多くは語りたくないが、ウーキーの腕をチョロチョロチョロッと登って肩にとまるヨーダが見所だ。
六本木ヒルズのプレミアシートの最前列(A列)だったが、これは近すぎてひどすぎる。購入時に「まあいいんじゃない」と言ったのが悔やまれるが、あまり気にしていないようであったからまだ救われる。でも、ここの席はもうありえないな。何れにせよ、個人的なことだけれども、忙しくてというか混乱していてというか、あまり覚えていなく無いでもない。
1995. 出演: 田中敦子, 大塚明夫, その他。監督: 押井守。原作は士郎正宗の『 攻殻機動隊 』。
士郎正宗の絵は上手い。まんがも結構面白い。上手な絵でホンキで作りこんであるから好ましいのだよ。押井守には『うる星やつら』のビューティフル・ドリーマーでやられた。よって、前から見たいなーと思っていたもので、 DVD で購入してみた。結果、あまり面白くない・・・
何が悪いといって、草薙素子の声が悪いと思う。アニメっぽすぎて、映像とかみ合わないんだよね。英語にして日本語字幕にした方がいいんじゃないかと、そのくらい。あと、説明科白/画面が多すぎて、全体にぎこちなくて遅い。もたっとした感じで、疾走感がない。あとあと、素子のキャラの作りこみも良くないと思う。原作風の飄々としたところを残しておけばよかったのに、この映画版では欝気味で視野狭窄で自己憐憫趣味で、ダメな人みたいだ。
次の科白が全体のテーマになっている。のか?
われ童子の時は語ることも童子のごとく、思ふことも童子の如く、論ずる事も童子の如くなりしが、人と成りては童子のことを棄てたり。
今われらは鏡をもて見るごとく見るところ朧なり。然れど、かの時には顔を對せて相見ん。今わが知るところ全からず、然れど、かの時には我が知られたる如く全く知るべし。
コリント前書、第13章11-12節
まあ、音楽とか、コリント書の引用とか、デジタル化とか、いいところもある。民謡調のエスニックなテーマはなんていう曲なんだろう?歌詞が全く聞き取れないんだが。と思ったら、歌詞が載ってた。
謡
詞/曲 川井憲次
吾が舞えば 麗し女 酔いにけり
吾が舞えば 照る月 響むなり
結婚に 神降りて
夜は明け 鵺鳥鳴く
遠神恵賜
でも、映画としては音楽以外の肝心の演出がダメだからダメだなぁ。興行的には良かったらしいし、評判も総じて良いようだから良かったねというところで、特に見るべきものもない駄作。こんなもの、褒めちゃダメだと思う。
光学迷彩とか人形遣いのイメージは士郎正宗が拾ってきて世界観の中に作り上げたものだし、電脳ダイブのイメージはギブスンの『ニューロマンサー』以来の共通語ではないの。押井守のものじゃない。それらを材料にして彼が作ったものは何だ??何もないんじゃないかと思う。かれはそういったガジェット/世界観を十分消化できなかったんじゃなかろうか。それとも、これを褒めなきゃいけないほど、昨今の映画/アニメは惨憺たるものなのか?
先週はこんなん読みました。
Ont The Beach, 1957.
あれこれと議論するのは好まない。とてもよい。
第三次世界大戦、大量の水爆/コバルト爆弾が応酬され、北半球が死滅。それから二年、気流が放射能を帯びた塵を南半球まで運んでくる。ゆっくりと、着実に、緯度に従って死と静寂がやってくる。舞台は最後まで残るであろう主要都市、オーストラリアのメルボルン。主人公はアメリカの原子力潜水艦の艦長、ドワイト・タワーズとモイラ。生き延びる努力は完全に放棄され、みな恬淡と受け入れる。パニック・スペクタクルものではない。
この本が始まるとき、オーストラリアの北端の都市ダーウィン、ケアンズはもうやられている。ブリスベン、シドニー、キャンベラも続き、やがてアデレード、そしてメルボルンにも達する。終わりはみなに訪れる。終わりが近づきつつあっても、秩序は維持され、電車は走り、水道と電気も供給される。だから、こうなって欲しいという楽園ものだ。好き嫌いは割れようし、怒りを覚える人もあろう。そう受け取る人も嫌いではない。でも、私はこの本がとても好きだ。
このいやはての集いの場所に
われら ともどもに手さぐりつ
言葉もなくて
この潮満つる渚につどう・・・・・
かくて世の終わり来たりぬ
かくて世の終わり来たりぬ
かくて世の終わり来たりぬ
地軸くずれるとどろきもなく ただひそやかに
T.S.エリオット
In this last of meeting places
We groupe together
And avoid speech
Gathered on this beach of the tumid river
This is the way the world ends
This is the way the world ends
This is the way the world ends
Not with a bang but a whimper.
T. S. Eliot "The Hollow Men"
Don Juan Demarco, 1995. 出演: ジョニー・デップ, マーロン・ブランド, その他。監督: ジェレミー・レヴィン 。製作(プロデューサ)は名作の呼び声高い『ゴッド・ファーザー』 (1972-1990)、世紀の駄作との呼び声高い『地獄の黙示録』 (Apocalypse Now, 1979) のフランシス・フォード・コッポラ (Francis Ford Coppola)。
人生で大切な問題はただ四つしかない。神聖、魂、命、死。その答えは全て同じ。愛。
いや、笑わせてもらった。これは久しぶりにヒットだ。ジョニー・デップといえば、ティム・バートン監督の『シザー・ハンズ』、同監督の『エド・ウッド』、やはり同監督でクリスティーナ・リッチも出ていた『スリーピー・ホロウ 』のイカボット、そしてジム・ジャームッシュ監督の『デッドマン』。そのジョニー・D のいかれた映画が見たくて買ったのだが、期待を裏切らない出来。『パイレーツ・オブ・カリビアン』(カリブの海賊)はどうかと思ったが・・・名優マーロン・ブランドもお茶目。そしてこれは『俺たちに明日はない』(1967) のフェイ・ダナウェイなんだなぁと思うと感慨もひとしお。
主人公は精神分析医。かれは情熱を失っている。でも、その焔は消え果ててはいない。冒頭で述べるそのせりふに表現されている。
"I have no doubt that losing a love like this can be very painful. But you must understand my friend, that the power of love, the power of Don Juan's love, is eternal and will not be denied."
かれの患者は自分をドン・ファン・デマルコだと思っている青年。マーロン・ブランド演じる精神科医は青年とセッションを繰り返し、果たして、彼がドン・ファンであることを認め、腕を組んで応える。「私の仮面の下を見抜いた。」
そして彼はフェイ・ダナウェイ演じる妻に語りかけるのだ。
"I need to find out who you are."
"I know a lot of dirty coffee cups and I know a lot of facts, but I need to know all about you."
"I wanna know what your hopes and your dreams are, that got lost along the way, while I was thinking about myself."
そして最後、彼は彼の患者について報告する。
"Sadly, I must report that the last patient I ever treated, the great lover Don Juan DeMarco, suffered from a romanticism which was completely incurable, and even worse, highly contagious."
ブライアン・アダムスのワルツっぽくてスパニッシュな挿入歌もよい。そりゃ踊るわ。そういえば昔、ジプシー・キングスってのがいたね。とても好きだった。予告編のフラメンコが本編ではないのが惜しまれる!燃えるのに!!
まあ、なにはさておきハッピーエンドだ。これ最強。
今週と先週はこんなん読みました。
月天子
私はこどものときから
いろいろな雑誌や新聞で
幾つもの月の写真を見た
その表面はでこぼこの火口で覆はれ
またそこに日が射してゐるのもはっきり見た
後そこが大へんつめたいこと
空気のないことなども習った
また私は三度かそれの蝕を見た
地球の影がそこに映って
滑り去るのをはっきり見た
次にはそれがたぶん地球をはなれたもので
最後に稲作の気候のことで知り合ひになった
盛岡測候所の私の友だちは
――ミリ径の小さな望遠鏡で
その天体を見せてくれた
亦その軌道や運転が
簡単な公式に従ふことを教えてくれた
しかもおお
わたくしがその天体を月天子と称しうやまうことに
遂に何等の障りもない
もしそれ人とは人のからだのことであると
さういふならば誤りであるやうに
さりとて人は
からだと心であるといふならば
これも誤りであるやうに
さりとて人は心であるといふならば
また誤りであるやうに
しかればわたくしが
月を月天子と称するとも
これは単なる擬人ではない
今週はこんなん読みました。
今週はこんなん読みました。
今週はこんなん読みました。
今週はこんなん読みました。
Story of Your Life, 2002.
短編集。寡作な著者の唯一の書籍だそうで。
SFの定義は諸説あるが、「IF (もし)を無矛盾に突き詰めた思考実験」ということが挙げられよう。そのなかから Sense of Wonder が生まれる。つまり、世界が少しずらされる。SF の S は Speculation の S。この短編集では Science 濃度はそんなに高くないけど、紛れも無く SF。ずらされた世界を受け入れられるかどうかが読者の技量如何に左右されるのだから、ちょっと損な分野かもしれない。どんな愚か者にも感動を与える芸術とは違うのだ。これは SF に限らず広くジャンルものに該当することかもしれないが。
SF は昔から短編集と相性が良い。メアリ・シェリー (1816) もジュール・ヴェルヌ (1862) もブラム・ストーカー (1897) もジョージ・オーウェル (1945) も長編作家だったが、ポー (1865) もレ・ファニュ (1872) もH・G・ウェルズ (1895) も短編だった。そしてアシモフをはじめとする現代以降の作家がアメージング・ストーリーズ誌やアスタウンディング誌で発表する中で短編形式はSFに欠かせない形態となった。そもそも、Q.E.D. (quod erat demonstrandum) にそれほど紙幅は必要ない。
そして、テッド・チャン。この短編集はSFの現代的な形態と古典的な精神の幸福な出会いだ。SF 短編集の中で最も好きなものの一つ。私は表題作が一番好き。次は「地獄とは神の不在なり」だな。失ったものを求め続けるのは日常だ。
今週と先週はこんなん読みました。
港の空の色は、空きチャンネルに合わせたTVの色だった。
ニューロマンサー、この細道が死者への地とつながる。ニューロは神経、銀色の径。
夢想家 。魔道師 。
The Passion of The Christ, 2004. 出演: ジム・カヴィーゼル, モニカ・ベルッチ, その他。監督: メル・ギブソン。
血まみれのキリスト。無意味な暴行と受難。宗教画で見られるシーンと聖書の科白。全編の9割がマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4つの福音書から取られた科白とのこと。実際にしゃべっている言葉はラテン語、アラム語で、アメリカでは英語字幕が付されたらしい。
良く作ってあるとは思うし、ヴェロニカの布とかマグダラのマリアの石打などのエピソードが面白く配置してあるけれども・・・聖書についてもっとよく知っていれば楽しめたのかもしれないけれど、全編を通しての感想は「退屈」。宗教画で見たシーンが多く、映像も総じて綺麗なんだけど、なんというか、平板で緊迫感が無い。ピラトやヘロデにも、もっと厚みが持たせられただろうに。
二千年近く前に書かれた文書に基づいて映画を撮るに当たって、解釈を挟まないというこの撮り方が良かったのかどうか。悪く言えば、金をかけてエピソードを追っただけになっている。現在とは文化的に違うだろうし、福音書は戯曲や詩とは異なる成立をしたものなうえに、当時の文書に対する姿勢として、書き方、書かれな方も違うのではなかろうか。それを解釈を挟まず映像化してみてもちょっと。
聖書に慣れ親しんで内面化できていれば違うのかもしれない。
Dogville, 2003. 出演: ニコール・キッドマン, ポール・ベタニー, その他。監督: ラース・フォン・トリアー。
実験的な要素が多く、胸の悪くなるシーンも満載。モノローグが多いので、字幕を見ないで英語が分かる人には特にお勧め。舞台はロッキーの山奥の小さな村、ドッグヴィル。映画では、黒い床に家と道を表す白線と最小限の家具を置いただけの殺風景なもの。犬までペンキでかいてある村の中、登場人物と自動車などの小道具。芝居の舞台装置と同じような扱い。
この見せ方が効果的かどうかは一考の余地があるが、新奇で興味深いことは間違いない。見えないはずのところまで見えるし、テーマのカリカチュアライズの点では効果的。無駄を最小限にそぎ落として、戯画化すること、イイタイコトをクローズアップするのが狙いなんだろう。
そのテーマについては、ちょっと言及しにくい。映画についてのネタばれになることもそうだけど、そこまでの状況に至るにはいかんせん現実感が乏しい。人間関係とか人付き合いの距離のとり方とかの観点では一般化できるし、昨今の政治情勢や歴史に照らして、思想的にテーマを解釈してあれこれと云うこともできるんだけど、映画を見ているときにそのように感じたわけではない。つまり、訴えかけてこないし、思い返しても染み渡らない。意欲的でいい作品だと思うんだけど、強靭さに欠けるように思う。
最近映画を見ていなかったので感度が鈍っているのかもしれない。
今週はこんなん読みました。
今週と先週はこんなん読みました。
元警察犬マサの短編。テーマが絞られていて面白い。『 マサ、留守番する』が一番好き。どれも上手い。
The Naked Sun, 1957.
『 鋼鉄都市』の続編。三原則に基づき、ロボットは人を殺せない。しかし、現場から発見されたのは死体と機能停止したロボットだけ。他に人がいたはずは無い。前作『 鋼鉄都市』で活躍したイライジャは今度は惑星ソラリアに招聘されて調査につく。今回はパートナーR.ダニールはあまり活躍しない。「見る」というテーマで川端の『 みずうみ』を思い出した。アシモフはいつもハッピーエンドで優しいから好き。
今週はこんなん読みました。
The Sittaford Mystery, 1931.
フィアンセが殺人容疑で逮捕された魅力的で気丈な娘さんが文字通り彷徨う。クリスティはこういう人物像が多いな。エピローグも良い。
ストーカーもの。というと誤解を招くだろうけど、読んだ人には間違いではない。
耽美で頽廃。耽美だけど現実主義。やりきれないねぇ。たぶん恋愛とは別なんだけど、幾ら見てても見足りない、見飽きないということがあるものだ。「なんだろう、これは。」というか、造形の妙に讃嘆することはあるものだ。物自体に即した、網膜に映った像への偏愛。
視覚刺激による快楽というものはある。モーリアックがテレーズを形容するのに、「美人ではないが、抗いがたい魅力がある」と記述していた。例えば、そういうことがある。しぐさ、声、肌、笑顔、ピンクに染まる頬、目、鼻、貝の様な曲線を描く耳、口の造詣、鼻を頂点とする立体、そういったものが美人と形容するに足るのは想像にかたくない。その鎖骨から耳にかけて、その薄い胸も腰にかけて、膝の裏からふくらはぎにかけて、その二の腕から指先にかけて、その玄妙な曲線を美と観じるに、快い刺激と感じるに無理はない。
人は他人の顔を識別するのに無遠慮に凝視したりしない。ただ一瞥してその印象や特徴をとどめて全体としてのゲシュタルトを記憶するに過ぎない。特に我々日本人は、人の顔を見ることを不躾として憚るように育てられた。今は無い躾かもしれないが。
全体の認識は、細部の解剖学的な蓄積からなるのではない暗黙地の次元だ。このとき、上記のような特徴を備えていれば、大概は美人と表現するだろう。
さて、しかし、ここからだ。じゃによって、上記の領域にとどまる鑑賞者に優越を感じるのである。一瞥を過ぎた頃、幾ら見てても見飽きない、幾ら見ててももっと見たいと思うことがある。そう思わしめる人の顔がある。
そういう人は誰にも似ていないのだ。美人の条件は、健康的に見えることと、鑑賞者の所属しているコミュニティ (共同体)の最も平均的な図像に近いという特徴がある。しかし、立ち居振る舞いや声などの副次的な要因によって美しいと表現した人が誰にも似ていないとき、その人の細部をためつすがめつ鑑賞し、堪能した後、その人を形容するのには二通りしかない。
モーリアックのように、「抗いがたい魅力がある」といって畏怖するか、「こんなに綺麗な人見たことない」といって崇拝するかのどちらか、もしくは両方だ。
私個人には、一人そういう人がいる。まさしく、幾ら見てても見飽きないし、幾ら見てても見足りない。やはりその人は誰にも似ていない。まあ、某の某に似ているという人もいるそうで、私としてはどうかなあと思うのだけれども、まあ、分からないでもないというか、面影が無いでもないという程度。やはり、その人は誰にも似ていないというのが正常な判断だと思う。
が、私個人は、実は似ているなと思ったものがある。エル・グレコの宗教画。マグダラのマリアであり聖母マリアである。小さい頃、絵画や音楽に興味が無くって、美術館なんて、おとなしくしてなきゃいけないし、静かにしてないと怒られるし、人は一杯いるし、ダイッキライだったころ、お堀端の美術館に連れて行かれたのが、エル・グレコ展。びっくりした。こんなに綺麗なものがあるものか、これが絵かと。芸術はどんな愚か者にも感動を与えるのだ。で、その人を見たとき、エル・グレコの宗教画のようだと感じたときの衝撃を慮ってくれという話。
まあ、でも、これは私個人の例外的感傷だからね。「抗いがたい魅力がある」、「こんなに綺麗な人見たことない」と云わざるを得ない人は、やはり誰にも似ていない。そして、各々、私のように物語をまとわせて畏れ敬うのだ。
要は、視覚刺激のフェティシズム (物神崇拝)というものがあるのだということが言いたかった。
短編三つ。『 みずうみ』より先鋭的。すごい。何れもキモに強く共感。解説は三島由紀夫。「根も葉もない花だけの花、物のない光だけの光。」
今週はこんなん読みました。
The Secret of Chimneys, 1925.
ちゃちな愛すべき娯楽活劇。ヒロインが魅力的。
The Seven Dials Mystery, 1929.
チムニーズの続編。前作より格段に出来が良い。ケイタラム卿が前にも増して魅力的。
詩集。最初の数ページを読んで天才だと思った。変遷が辿れて面白い。
四千の日と夜 一篇の詩が生れるためには、 われわれは殺さなければならない 多くのものを殺さなければならない 多くの愛するものを射殺し、暗殺し、毒殺するのだ 見よ、 四千の日と夜の空から 一羽の小鳥のふるえる舌がほしいばかりに、 四千の夜の沈黙と四千の日の逆光線を われわれは射殺した 聴け、 雨のふるあらゆる都市、溶鉱炉、 真夏の波止場と炭坑から たったひとりの飢えた子供の涙がいるばかりに、 四千の日の愛と四千の夜の憐みを われわれは暗殺した 記憶せよ、 われわれの眼に見えざるものを見、 われわれの耳に聴えざるものを聴く 一匹の野良犬の恐怖がほしいばかりに、 四千の夜の想像力と四千の日のつめたい記憶を われわれは毒殺した 一篇の詩が生むためには、 われわれはいとしいものを殺さなければならない これは死者を甦らせるただひとつの道であり、 われわれはその道を行かなければならない 帰途 言葉なんかおぼえるんじゃなかった 言葉のない世界 意味が意味にならない世界に生きてたら どんなによかったか あなたが美しい言葉に復讐されても そいつは ぼくとは無関係だ きみが静かな意味に血を流したところで そいつも無関係だ あなたのやさしい眼のなかにある涙 きみの沈黙の舌からおちてくる痛苦 ぼくたちの世界にもし言葉がなかったら ぼくはただそれを眺めて立ち去るだろう あなたの涙に 果実の核ほどの意味があるか きみの一滴の血に この世界の夕暮れの ふるえるような夕焼けのひびきがあるか 言葉なんかおぼえるんじゃなかった 日本語とほんのすこしの外国語をおぼえたおかげで ぼくはあなたの涙のなかに立ちどまる ぼくはきみの血のなかにたったひとりで掃ってくる
五冊読んだので別立てで。
五冊読んだから面白いんだけどね。
今週はこん