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時は戻らない。口から出た言葉は取り戻せない。壊したものは直らない。
先週はこんなん読みました。
話題になる中であらすじを知って、面白いに違いないと思っていた。本書はミステリとしては倒叙モノと呼ばれる。刑事コロンボや古畑任三郎みたいなあれ。最初に犯行が叙述され、主に犯人の視点で描かれていく。
母子二人で暮らしていた靖子は、金をせびりにやってきた元夫富樫を殺してしまう。以前から靖子に惚れて見ているだけだった隣室の石神はそれを知って助けようとする。石神は高校の数学教師をしている冴えない中年だが、実は天才的な数学的頭脳の持ち主だった。捜査するのは刑事草薙と天才物理学者湯川。花岡母子を間に挟んで始まる、天才数学者石神と天才物理学者湯川の頭脳戦。
自分が守らねばならない、と石神は改めて思った。自分のような人間がこの美しい女性と密接な関わりを持てることなど、今後一切ないに違いないのだ。今こそすべての知恵と力を総動員して、彼女たちに災いが訪れるのを阻止しなければならない。
本書は倒叙形式で語られる。キーとなるのは事後従犯を買ってでた石神だ。
私を信用してください。私の論理的思考に任せてください
このせりふは名探偵のせりふだ。「このポアロおじさんを信用してください。」石神は、花岡靖子の働く弁当屋に通いつめながらも、自らの思いを相手に告白できない不器用で朴訥な高校教師なのか、それとも、糸のように細い目をした、丸く大きな顔のサイコキラーなのか。石神の異常性はなかなかいい。
上手の手に掛かれば面白いに違いないプロットだ。実際に面白かった。
派手なトリックはない。叙述モノであることと、話の展開とともに進められていく石神の仕掛けが予め予定されていたことによるものだと思う。
緊迫する駆け引きというものもない。後者は犯人役の石神と探偵役の湯川の関係がそもそも希薄で対立しているのかどうか微妙だからだろう。
でも、私は「おお、そうきたか!」と思うところがあった。最後に泣ける。
以下、ネタばれ。
ひどい。ラストが。なんちゅう、救いの無いエンディングだろうか!
と思ってたら、感動したって感想を見かけるのだが、感動??
私が読むだに、好きで、力の限り守ろうとして、相手から自分を引き離し、幸せを願ったその相手からだな、自ら去り行こうとする背中に向かってNOといわれたように読める。しかもひどいことに私もご尤もだと思う。
最後の最後で、「石神さんと一緒に罰を受けます。あたしに出来ることはそれだけです。あなたのために出来ることはそれだけです。ごめんなさい。ごめんなさい。」だぞ?そりゃ泣くわ。好かれていないことを承知の上での無償の献身だったのに、「あなたのために出来ることはそれだけです。」って、「ごめんなさい。」って。石神はプロポーズしたか?付き合ってくれって云ったか?そもそも石神は好きだとも云っていない。だのに、そんなこと、改めて、わざわざ言葉に出して云わんでくれ・・・・・・
本書にははっきり書かれていないけど、裏のネタとして、バカな高校生の相手やあれやこれやの面倒に嫌気がさして、刑務所内で数学だけに専念するのが目的でもあったのだろうから、それを救いとすべきだろうか。まあ、逆にも読めるんだが。
あと、他の人がどう読んでいるのか知りたくて、感想をいくつか探してみたが、こんなような感想が結構あった。
しかし、その動機の「愛」については、犯人像(容疑者像)と結びつかない。犯人が自己犠牲の上で守ろうとした彼女。その彼女との出会いの場面の描写が弱いからだ。そこまで彼女に入れ込む犯人の気持ちが残念ながら充分に伝わってこない。
これはよし。伝わってこないって云ったって、じゃあ、どんな理由があればいいんだ。何か理由があって説得されれば好きになるとでも云うのか。閾値を超える条件なんかない。そういうものです。
期待したとおり、面白かった。でもひどすぎだと思った。しゃあないけど。
と学会の山本弘のSF。SFネタとしては人工知能。本書は神について考察したものだ。神について考えたことがあるだろうか?ヨブ記を読んだことはあるだろうか?
本書は面白い。文体は軽くて読みやすい。SFだけどハードSFってわけでもないので、SFマニアじゃなくても付いて行くのに苦痛は無いだろうと思う。しかし、濃い。というか、くどい。下巻はそんなでもないが、上巻は事象の羅列がとにかくくどい。小説として破綻するほどではないけれども。読み通せば破綻無い良くできたSFなんだけれども。あと、文体が軽いことと引き換えに、人物造詣が薄っぺらい。
プロットは面白い。着想も分かる。と思う。でも、素人にはお薦め出来ない
。くどいから。読むものが無くて困ってたり、SFファンであったり、速読ができたりするのであれば読むと良いのではないかな。
事象の網羅がくどい。トンデモ学会会長だけあって、とんでも事象には博覧強記。でも、プロットを楽しむためには邪魔だと思う。これでは勧められないじゃないか。文庫本で二冊。読み飛ばせる人にはいいかもしれない。或いは、オカルトへの造詣がある程度あれば読めると思う。単語を拾って、ああ、あの件ね、って人は読み飛ばしながらプロットとアイディアだけ追って読めると思う。学研の『ムー』とかX51なんかを知ってる人ならOKだと思う。例えば、ケネス・アーノルドの名前を知らないような人はきついと思う。
私が思うに本書の意図は、「不思議な現象は、古来多数報告されている。ビリーバー達が熱心に報告する。でも、ビリーバー達は、それらの事象を本気で考えたことがあるのか?」と問うているように思う。「おまえらは安易じゃないのか?」と。
惜しい。こんなにくどくなければお勧めできるのに。面白い。と学会の姿勢も好きだ。だからして惜しい。
小説としての大成を捨ててまで盛り込みまくった事象の羅列が別の価値を生む。そういう本だと思う。オカルトに溺れるすれすれのタイミングホールに嵌れた『幻魔大戦』や博覧強記の『帝都物語』なんかを思い出した。対極にありながら同じカテゴリだと思う。この本は長く記憶されるだろう。小説としてお勧めできるものであれば良かったのに。惜しい。惜しすぎる。
らもの『ガダラの豚』を思い出す。これはお勧め。『僕に踏まれた町と僕が踏まれた町』とか『今夜、すべてのバーで』とかもお勧め。本書とは関係ないけど。
文庫本の表紙はヴァティカンにあるキリストの変容(1518-20. ラファエロ)。見たことあるかも。ムリーリョ (1617-1682)とかエル・グレコ (1541-1614)とか好きなところだ。いいセンスと思う。
本書の中では旧約聖書のヨブ記が採り上げられている。経験上、ヨブ記を考察している本は面白い。本書も面白い。ヨブ記についての、すばらしい洞察があるというわけではないけど。
山本弘は小説家、ゲームデザイナ。グループSNE創立メンバ。と学会の会長でもある。と学会とは、トンデモ本を集めて楽しむ読書集会だそうだ。
トンデモ本とは、単に中身が間違ってる本ではありません。著者の意図とは異なる見方で読んでみたら、とても面白い本のことです。UFO、予言、超古代史、さまざまな陰謀論……その広がりと内容は、読書することの楽しみとオドロキを私たちに教えてくれます。
本書では、カルト宗教やオカルトに嵌った人の心理状態が繰り返し記述されている。「人は信じたいものを信じる」、「正しいから信じるわけではない」そんなかんじ。カスタネダのドン・ファンが創作であったことが明らかにされても、ニュー・エイジ系のビリーバーは揺らがないらしい。「嘘だったかもしれない。だからなんだというのだ。」興味深い。不快だけど、そういうものなんだろう。
先週はこんなん読みました。
強盗殺人犯の弟のたどる高校生から社会人まで。初めての東野 圭吾。面白かった。
テーマは更正とか贖罪とか。強盗殺人犯の弟と言う人物を主人公に、罪とは何か罰とは何かが考えられていく。
とにかく暗くて圧迫的。差別であったり悪意であったり好意であったりするけれども、過去の一点から、あらゆることが影響を受ける。人物の性格設定がうまい。語られる事象が非常にストレスフル。主人公にとっては、兄が強盗殺人犯であることは明らかな汚点なんだけれども、周りの人が常に思い出させてくれる。兄も弟もいいやつだし、周りの人も、無知な悪人と言うわけではない。しかし、そこで展開されるのは非常にストレスフルな状況だ。
主人公の状況設定は、重犯罪者の弟だけれども、彼の直面する抑圧は、世間並みに振舞えない不器用な人が感じる心理的抑圧とよく似ていると思う。社会的な抹殺とそこに直面した困難という点は似ていると思う。
この社会的死に対する弟が優秀すぎるのが鼻に付くけど、これが人並みで重圧に耐えかねるようだと、重すぎて読むのが困難になるだろうし、これでいいんだろう。面白かった。
『容疑者Xの献身』を読みたいんだけど、文庫になってない。買っちゃおうかな。。。
歌集。
尻舐めた舌でわが口舐める猫好意謝するに余りあれども
本書を紹介する文章の中で最も引用される一首。やっぱりこれが一番よい。
何のため生きているかと問われいて遠き花火を吾は思いぬ お見合いのテレビで牧師ふられおりあなたは神を信じますか 「俺たちに明日はない」まだ幸せな話なりたちがついてて わたくしのごとき阿呆を頼みとしすり寄る猫も阿呆であるか 墓碑銘にこう書いてよねダメ男だったが猫を見捨てざりきと にゃん吉よお前が死ねばボク独りなんでんかんでん死なねでけろ 大人にはなりたくなかったあの頃の気持ち今でもまるで変わらぬ 暑いから夏は何もせずにおき冬は寒くてまた何もせぬ 愛されて死んだ男の映画見てどうして俺が泣いているのか ちょっとしたあなたの好意それだけでもうズルズルのナメクジラです ふりむきもせずに小さくなってゆく君との距離を失恋と呼ぶ うわついた気持じゃないよ猫を抱くようにあなたを愛したいだけ 愛ということば愛していたとても愛はあなたを愛しはしない
先週はこんなん読みました。
面白かった。カテゴリとしては『バトル・ロワイアル』(高見 広春)。『ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ』(滝本 竜彦)を思い出した。
2002年のこのミスにランクインしているが、ミステリであるわけではない。
京極より面白いと思う。何で京極と比べるかというと、キャラクタ小説だなぁと思ったから。そういえば、最近読むもんはそういうのが続いているんだけど、これは顕著でラノベに近い。つか、ラノベなのか?
あんまり面白くなかった。村上龍のオナニー小説。自己模倣の一作。
悪いわけではないが、真実を求めようという姿勢と、求める真実が、現実と乖離していないか。
エピソードの現実性云々ではない。無矛盾であればなんだってありだ。哲学的懐疑を退けたって、なんだってありだ。だから現実はすべて認めなければならないのだ。望むものを得るのは変化で、変化を起こせるのは自分だけなのだ。俺にできないのはなんでだろうか。分かっているのだが言葉にならない。感じられているのだが言葉にならない。自己韜晦でポーズをとることが正解ではない。実体を捨ててカッコマンであることを望んだのではなかったか。それがこの体たらくとは笑わせる。夢見がちすぎで笑わせすぎ。
でも、恥の記述は正しいと思う。でもそれだけだ。価値はあるが。
これが村上龍の真実だというのだろうか。体験的記述と書きたいことのギャップが感じられる。これは失敗だったけど、追求するのは悪くない。むしろ良い。次作に期待か。
先週はこんなん読みました。
The World According to Garp, 1981.
まだ上巻。読み途中だけど大層良い。アーヴィングの自伝的小説とされるが、そういうことは考えなくて良いように思う。私は読んでいても考えない。
なんとなくカート・ヴォネガット・ジュニア(1922-)に似ているように思う。ヴォネガットよりも読みやすいが、エピソードやその積み重ね方が似ているように思う。良い読書だ。
ヘレン、いいなぁ。
本文中、ガープ夫妻が、友人夫妻とスワッピングする下りがあるのだけれども理解できない。その人が自分を嫌っていることが分かっていればいざ知らず、好きで好かれている自信があるのであれば、それは耐え難いものだと思う。
好かれていることを信じられないなら別だし、何れにせよ嫌われていることに確信があるなら別だ。認めたくないこともまた事実であるにせよ。まあ、ここら辺まで踏み込むといつもと同じでもう別の話だけど。
これは本書のテーマとは関わりのない感想。サイレントマジョリティの声を反映するwを思い出した。
好きになるのも嫌いになるのも権利だが、他者と仲良くするのは義務なのだから。
まことに大人な意見である。誠実に振舞えた方がよい。好かれたいというのは個人の欲求に過ぎないから。
訳がうまい。訳者の筒井正明氏は駿台とかから学参も出している。
ここで挙げた駿台叢書の『英文解釈その読と解』は、単語や構文/文法解説に加えて、直訳と解釈が載っているのだが、解釈の方が長いという受験生泣かせというかひねくれ者の支持を得やすい構成だった。萌えるとでも云おうか。高橋善昭氏や伊藤和夫氏とは違ったマニアックな世界で、奥井潔氏に近いが、より現代的だった。
先週はこんなん読みました。
The Man Who Was Thursday, 1908.
ブラウン神父を生み出したチェスタトンの唯一の長編らしい。
前半の幻想怪奇小説的な雰囲気と、後半の場面転換の忙しなさが独特の雰囲気を出しておって、なんとなくヘッセの『荒野の狼』(1927)のハリー・ハラーの物語を思い出した。昔だったら夢中になっていたかもしれない。無政府主義であるとか、世界の善良性であるとか、そんなに声高に叫ぶ気はない。
訳者の吉田健一は吉田茂の子だそうだ。訳はちょっと読みにくい。6歳の頃から13年間海外に住んでおり、事実上のnative speakerで、日本語の方が不得手であったとも伝えられる。
独特な雰囲気のある小説で、もう一度ゆっくり読んでみようと思う。
先週はこんなん読みました。
Tales of the Black Widowers, 1974.
アシモフことアジーモフの本格ミステリ。男だけの、月一回の会食を例会とする、黒後家蜘蛛の会を舞台にしたミステリ短編集。
本は通勤時間しか読めないのだが、本書はまさにうってつけだ。
Black Widowersのメンバは六人。それと給仕のヘンリー。会にはメンバの友人がゲストに呼ばれる。ゲストが謎を持ちかけ、各々の分野で博覧強記なメンバがあれこれ議論して、最後にヘンリーがばっさりと絵解きする。そんな短編集だ。
アシモフも認めている通り、クリスティのマープルもの短編集『火曜クラブ』に習ったようだ。
実は初読ではなく、以前、全巻読んでいる。高校から大学に掛けての頃だったと思う。
アシモフはSF作家として名高いが、Wikipediaを開くまでもなく、博覧強記の人で、サイエンスの高等教育の教科書から歴史、文学、エッセイまで、幅広く執筆している。ミステリもその一つだ。
アシモフは「ロボット三原則」やファウンデーション・シリーズで有名だが、独特の雰囲気があって好きなのだ。
- 第一条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。(A robot may not harm a human being, or, through inaction, allow a human being to come to harm.)
- 第二条 ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。(A robot must obey the orders given to it by the human beings, except where such orders would conflict with the First Law.)
- 第三条 ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。(A robot must protect its own existence, as long as such protection does not conflict the First or Second Law.)
1985年の『ロボットと帝国』では、第一条を超克するものとして、「人間」を「人類」に置き換えたものが提唱されている。これを三原則に優先する第零条と位置づけていた。
アシモフの特徴は、合理的であることへの耽溺、ロマンティシズム、善良性への信頼。もっと現代的な、例えば、ヴォネガットなんかも似ているんだけど、ニヒリズムが色濃くなる。アシモフは楽天家だ。そして緻密だ。
読むと、世界がずらされる気がする。古式ゆかしいSFとしての良心を素晴らしいクオリティで示してくれていると思う。私は、『鋼鉄都市』のシリーズと、ロボットものの短編集が好きだ。
ものすごく有名なビッグネームなのだが、知らない人もいるので、どんな人だか書いてみた。知らない、名前を聞いたことがあるけど、何している人だか知らないという人はいて、びっくりするのだが、本を一切読まない人はいるし、SFというのは所詮ジャンルものだということだろう。『2001年宇宙の旅』を知っている人が、アーサー・C・クラークの名を知っているとは限らないのだ。
黒後家蜘蛛シリーズだが、邦訳は既刊で五冊。未邦訳の収録依頼を復刊ドットコムで交渉予定だ。二重登録/組織票を弾くために、ユーザ登録が必要だが、是非、ぽちっとして欲しい。
先週はこんなん読みました。
筒井康隆断筆宣言前最後の作品。正当なSFで、筒井のアクは薄い。過去の作品では、七瀬シリーズの最初の方みたいな感じだ。
十年ぶりくらいの筒井康隆。セラピストのパプリカ=千葉敦子が主人公で、夢をテーマに虚実入り乱れるスラップスティック。
読み始めて、認めないまでも病んでいて寛解期にある今の自分にはマズイかもと思ったのだけれども、筒井の原初的なところを犯すような毒は薄い。読んで楽しいエンターテイメントに仕上がっている。
因みに、断筆宣言後最初の長編は『敵』らしい。但し、断筆宣言後、『敵』以前にも、短編はウェブやCD-ROM収録などで執筆していたし、エッセイはいくつかある。
角川スニーカー文庫。えらく評判になっておって、アニメになったのをYouTubeで見た。
それが面白かったし、長らく評判になっておったので、酔った勢いでAmazonさんでぽちぽちしてしまい、うちには8冊全部ある。
で、一冊目を読んでみたのだが、おもはゆい。YouTubeで見る分にはいいんだが、他の本と並べて読むと、ちょっと、あれだ。
先日、ツンデレ属性があることが判明(?)した私だが、ハルヒ萌えにはならないし、『うる星やつら』のメガネ好きだがキョン君に対してはそれほどでもない。
YouTubeで何話か見たアニメと比べると、アニメの出来がすこぶる良いのだ。小説を読んでもアニメを超えていない。アニメが小説の水準に達しているとも云える。普通は、小説は言葉数/文字数の優位性を圧倒的に示すものだと思うのだが、この本の場合はそうではない。日本語がおかしい点もちょくちょく見かける。
「言い訳から始めてみたわけだが」、と云って現実とのつながりであるとか、文章力とかの普遍的な方向へもって行こうかなとも思ったのだけれども、やっぱりやめた。その気力が沸かないので。
先週はこんなん読みました。
The Starry Rift, 1986.
SF。三話収録。表題作が一作目。個人的には、3作目『衝突』が好き。
ハヤカワSF文庫なんだが、表紙のイラストがラノベっぽくて敬遠していたのだが、評判は高く、いつか読まねばなと思っておった。
『愛はさだめ、さだめは死』って短編集を先に読んで、こいつは本物だと思い、ついに手を出した。
表題作の評判が高いのだが、流石に面白い。他のものも含めて総評すると、典型的なSF。スペースオペラでもなければ、ハードSFでもなければ、Speculative Fictionってわけでも、サイバーパンクでも、New Waveでもない。各々そういった要素はあるかもしれないが、特定ジャンルで突出したものではない。でも、「面白いSF」だ。
『たったひとつの、冴えたやりかた』のコーティーとシロベーンはとてもかわいい。『衝突』の最後のところで「やられた」と思った。
ティプトリーは出版点数が多くない割りに絶版が多いのが残念だ。
話題の本が文庫になったので購入。ジュブナイルを読む人にしか話題じゃないかもしれないけれども、目には留まっていた。
同じ著者の本を、もう一冊読むかどうかは別として、これはとても面白かった。
強い感情の発露があるものには惹かれる。感情の激しい人に魅かれる。それが自分に対する嫌悪であってもさ。好きなものは嫌いにならないのだ。驚いたことに。
一般に、私が評価する本は感情の動きに注目するもの、丁寧に扱うもの。それは次の二つに分けられる。
一方は、周囲の状況から丁寧に織り上げることによって、名前の付け難い機微を浮かび上がらせて胸に迫るもの。所謂、文学作品にあるパターンだ。
もう一方は、明らかな感情の一つに焦点を当てて、究極まで突き詰めるもの。常軌を逸したところには真実が宿る。単純でも。例えば『麻雀放浪記』、例えば『キッチン』。
本書は後者のパターン。感情の種類は単調で、デルタ関数的なピークを迎え、それ以外の感情の動きはむしろ平坦。そのピークの立て方、着目点が良かった。ピークの捉え方は正しく、ピーク前後の勾配も嫌味無い。そう思った。
以下、ネタバレ含む。
主人公は、語り手の高校二年生男子の山本陽介と、チェーンソー男と戦う高一のツンデレ美少女絵里ちゃん。あと、山本の友人の渡辺と能登。
能登は思い出だけだけど、渡辺とは焼肉を食ったりだべったり。こいつらはいい奴だ。
そうなのだ。方法は、あるのだ。それはみんなが知っている。細胞のアポトーシスなんてクソ食らえ。かっちょよく、あとくされなく。
オレを、殺してくれ。
この欲望を知っている著者はとてもツボだった。オレを、殺してくれ。出来れば、悪と戦い、好きな人を助けて、死んだりすると、自分的には、最高!
ご都合主義。愚かなのだ。世界は美しいもので満ち溢れているのだ。こんなものは美しくなくって、立ち腐れていって、それならば、壊れてしまう前に、なくしてしまおう。
この物語を読み終わった後、あったかもしれない幸福と、事実としてない現実とを比べて、やっぱり思う。誰か、オレを、殺してくれ。
あったかもしれないってのが、ずうずうしいんだ。
ちなみに、この本は、ハッピーエンドだ。読めば、ちょっとは、幸せになれるかもしれない。
前回読んだ『僕は模造人間』は、幼少時から大学生までを書いていた。本作では中学三年生の1975年1月から12月までの日記の体裁になっている。
連載時は『甦る青二才』という題だったそうだ。解題すると、甦りはしない君が壊れてしまう前に僕の中に残そうという感じだろうか。或いは、壊れてしまいそうだった君(=僕)のことかもしれない。
なんとなく焦燥感をかきたてられ、なんとなく穏やかになるのは島田雅彦の小説の特徴だ。
強い印象を残す本ではない。
読んでいるときは本当に中学生の日記のように感じられるのだが、実際は文章は上手くて、読むのがぜんぜん苦にならない。島田雅彦なんだから、文章の上手さは当たり前かもしれないが、この点は注目に値する。
先週まではこんなん読みました。
Death in the Clouds, 1935.
「自然で無理がない」とする評価も読んだことがあるが、トリックに難ありな気がする。
クリスティの進取の気性を味わう小品といったところと思う。訳者の技量でもあろうが、表現の上手さは楽しめる。読んでるときは楽しい。
この作品に限らないが、ポワロの台詞で、ですます調と、だである調が混じってるのが読んでて気になる。そんなに多くはないのだけれども。
The ABC Murders, 1936.
ポワロとヘイスティングズもの。
よくできていると思うが、そんなに面白くはなかった。エポックメイキング的な作品だとは思うのだが。
ミステリとしてのガジェットは豊富に盛り込まれていて、語るのは楽しいと思うのだけれども、出来事を追うだけで、迫力が薄いと思う。
重要な作品だと思う。読書の快楽には、マイルストーンとなる作品を読んで教養を養うことも含まれると思うのだが、快楽的読書体験という観点では、★3/5くらいかな。
Der Himmel Uber Berlin, 1987.
ブルーノ・ガンツ演じる天使ダミエルと、オットー・ザンダー演じる天使カシエルが主人公。元天使でピーター・フォークも登場。あと、クルト・ボウワ演じるホメロス。
映画にとって記念碑となる作品。映像作家ヴィム・ヴェンダースの畢生の佳作。モノクロの映像は本当に素晴らしく生々しい。世界は美しいのだ。
なが~い映画。時間は2時間くらいなんだけど、非常に長く感じる。
だからといってダメなわけではない。たわいない童話で、幼稚な詩情かもしれないが、プリミティブな感動を描いている。絶望したときに感じる、世界は美しいのだという感慨に似る。
続編『時の翼にのって』も良い。
Faraway, So Close!, 1993.
先週はこんなん読みました。
The murder at the Vicarag, 1930.
マープルもの長編第一作。初出は短編『火曜クラブ』収録中六作品が先らしい。
どっちを先に読もうか迷ったのだが、こっちが先で全く問題ない。『火曜クラブ』のエピソードかなと思うところもあったが、ネタばらしをしているわけではないのでご愛嬌。もしそうだったら、「これか!」って種類の楽しみもあろう。
舞台はロンドン近郊の閑静な小村、セント・メアリ・ミード。村を教区とする教会付属の牧師館で殺人事件が発生。語り手は牧師館に住むクレメント牧師。ジェーン・マープルは隣に住む独身の老婦人として登場する。
捜査は地元警察の主導で進むが、巻き込まれた人々が各々で捜査に着手。噂話好きな村の老婦人方からの聞き込みの中にミス・マープルもおって、小さな示唆を与えてくれる。
後半、結構遅くまでマープルはあんまり活躍しない。その的確な示唆から、徐々に重要視されてきてはいるものの。
トリックはそれほど気が利いているわけではないと思った。そりゃ、読んでても最後まで分からなかったけどさ。
この時期のクリスティの魅力は、キャラクタと叙述にある。
ほかの男たちは、私のことを素晴らしい女だと思い込んでいたし、もちろん、わたしを獲得するってことは、あの男たちにとっては、きっとすごくすてきなことだったはずよ。でも、あなたにとって、わたしはすべてにおいて気に入らなくて不満な女でしょう?それなのに、あなたはわたしの魅力に勝てなかった!
さすが田村隆一と思う。
今宵、汝らの霊魂獲らるるべし・・・・・・
聖書からの引用だそうだ。どの福音書か全く分からない。旧約かもしれない。いつか読みたい本の一冊だ。
純粋に根源的な怒りをかきたてたいと思ったら、徹底したヒューマニストをかんかんに怒らせるに限る。
若い者は年寄りはばかだと思っているけど、年寄りは若い者がばかだと知っているんだよ
お二人の上に神のみ恵みがありますように。いつの日かきみにたくさんの幸福が訪れるように祈ってるよ
たくさんの幸福が訪れるように祈りたい。笑いの絶えない毎日でありますようにと。
Three Act Tragedy, 1935.
ポワロもの。ヘイスティングズはいない。
ポワロが招かれたパーティーで牧師が急死。パーティーのホストで元俳優のチャールズ・カートライトは殺人を疑う。
ポワロが活躍するのは第三幕から。第一幕、第二幕の主人公はチャールズ、その友人でパトロンのサタースウェイト、チャールズに惚れているエッグ。名探偵のパロディを演じてしまう根っからの俳優チャールズと観察者のサタースウェイトのコンビに、若いエッグが花を添える。
三幕ものである意味が良く分からない。主人公のチャールズに魅力があんまり感じられない。悪いわけでは無いがぱっとしない佳作ってところか。
尚、観察者として登場するサタースウェイトは『謎のクィン氏』に登場する猫背で初老のサタースウェイト氏と同一人物らしい。
先週はこんなん読みました。
The Man in the Brown Suit, 1924.
クリスティ初期(1924)の冒険小説。クリスティの当時の実体験がアンに反映されているそうだ。
父を亡くし、一人の身の上となったアン・ベディングフェルドの話。彼女が考古学者の父を亡くし親戚の許に引き取られていたとき、地下鉄で男の死を目撃する。アンは常日頃から冒険に憧れていて、単独調査を開始、やがて舞台は南アフリカへ。「大佐」と呼ばれる男に率いられる組織とその陰謀が徐々に姿を現す。
少女小説&冒険小説。アンは賢いけれども向こう見ず。薄弱な根拠に基づき、全財産をはたいてアフリカ行きの船に乗ってしまう。冒険に憧れていたから、アフリカに惹かれたのだ。
登場人物は概ね魅力的。サー・ユースタスが私の好みだ。アンは、クリスティものに多い、快活で直情的で賢い女性の一人なわけだが、年齢が若干の設定であることからか、ちょっと、受け入れにくく感じた。ちょこちょことむかつく一方で、魅力的ではある。
本書は、クリスティの冒険小説の中でも評判の良いものの一つ。まあ、面白い。家庭小説+ミステリというか、コバルト文庫っぽい感じが濃厚。特に前半。まあ、面白いんだが。物語の骨格はしっかりしていて、特に後半の終結部分は叙述もネタばらしも、なかなかいかしていると思う。
最後に、アンは登場人物の一人とくっつく。中盤(?)からだけれども。
アンが惹かれた(クリスティが理想とした?)彼の魅力は、危険さ、野蛮さ、不器用さ、要は強さ=誠実さであったのであろうと思う。
書かれたのは20世紀前半の1924年。第一次世界大戦(1914-1918)終結から5,6年。植民地支配は続き、コロニアルでレイシストで政治音痴なところは否めない。でも、惹かれる思いとか克己心とか赦しとか、そういうところはあんまり変わらないんだなと思う。ジェイン・オースティンの『高慢と偏見』でも思った。200年くらいじゃ、賢い人の観想は変わらないのだと思う。美しいものは美しい。美しい人は美しい。
Murder on the Orient Express, 1934.
ポワロもの。ヘイスティングズはいない。
舞台は厳寒の中部ヨーロッパ。イスタンブール、トリエステ、カレーを結ぶシンプロン・オリエント急行の車中で殺人事件が発生。たまたま乗り合わせたポワロが真相を探る。解説は有栖川有栖。
ミステリの女王の二つ名を持つクリスティ畢生の傑作と呼ばれている。他には、『アクロイド殺し』、『そして誰もいなくなった』、『ABC殺人事件』あたりだろうか。クリスティの経歴からすると前半になるが、登場人物のキャラクタの魅力に頼るのではなく、ポワロが狂言回しとしての役割を振られており、トリックや筋に重きを置いた中期に属するように思う。
イスタンブールはボスポラス海峡に接するトルコの要衝。かつてコンスタンチノープルと呼ばれていた場所。トリエステはアドリア海に面するイタリアのブーツの付け根。カレーはジブラルタル海峡のフランス側。ここからイギリスへ船が出ていたらしい。
ポワロはインドで事件を解決し、ロンドンへ戻るためにシンプロン・オリエント急行に乗り合わせる。事件は汽車がトリエステに至る前、当時のユーゴスラビア(今はクロアチア側)、ヴィンコヴィッチを出て、ブロットへ向かう間。汽車は雪だまりへ突っ込んで止まってしまう。雪に閉ざされた車中、外部犯行はありえない。誰の犯行か?
参照:http://www.eu-alps.com/i-site/orient-express/orient-express.htm
結末は有名だけれども、ここで明かすのはやめておく。別のところで整理しようと思う。登場人物が多くて結構複雑。注意深く読まないと、「こいつの素性は結局なんなんだっけ?」ってことになりかねない。
私の感想としては、まあまあ。傑作とされているものを読むと、感想は二分する。
一つは、それほどでもないじゃん、というもので、人の云うことを否定したい中二病に由来してるかも知れないし、傑作だそうだから読まなければという義務感や大きすぎる期待感のせいかもしれない。
もう一方は、すげー!さすがだ!ってもの。漱石の『こころ』とかハメットの『マルタの鷹』とかSFの諸作品とか。ここらは、私が本を読んでないことに由来すると思う。SFやミステリなどのジャンルものは千冊読めといわれる。いずれにしても千冊読んでいないので、まだまだ読むべきものは沢山ある。夏目、三島、鏡花くらは全部読んでいてもいいと思うが、まだ読んでいない。
『オリエント急行の殺人』は、突っ込むところは沢山あって、繰り返し読むと楽しみも増えそうだ。逆に言うと、技巧的なところが鼻に付く。登場人物はみんな魅力的だし、書き振りも機知に富んでいるんだけれども、散漫というか、中心線がぶれているような気がする。
ネタばらしをする積りがないので、抽象的な言い方しか出来ないのが若干もどかしい。面白いのは間違いない。ミステリファンであれば読んで損はない。
先週はこんなん読みました。
The Secret Adversary, 1922.
トミー&タペンスもの第一作目。クリスティとしては、1920年の『スタイルズ荘』に続く、作家デビュー後二作目の長編になる。
物語は、第一次大戦後5年のロンドンの地下鉄出口で、幼馴染のトミーとタペンスが偶然遭遇するところから始まる。二人は意気投合し、
『チムニーズ』みたいな冒険小説。トミーとタペンスの仲が良いのが素晴らしい。クリスティー好みの威勢が良くて魅力的な女性タペンスと、心優しくちょっとむっつりなトミーのコンビはとても感じが良い。
冒頭、状況説明にギクシャクしているけれども、好ましい佳作。以前、『チムニーズ』をちゃちな冒険小説と称したが、これもそう。好ましい。
そういえば、『シタフォード』では、婚約者の冤罪を信じる気丈な娘さんが単独捜査に当たってたのを思い出した。いろんな人を巻き込んでたが。クリスティ作品には、こういう、ユーモアがあって頭がよくて活動的な女性が多い。
本書では、トミーとタペンスが最後にくっつくわけだが、これが微妙な感じ。
読んでいるときは、二人はとっても仲が良いなぁと思っても、ほんわか感と若干の苦い思いをいたすだけだったのだが、最後の方でくっついちゃうと、仲良いからって、くっつかなくってもいいじゃんかさと思った。仲がいいのと恋愛感情は同じものかと。
まあ、悪いわけではないし、最後のエピローグに持ってきてて、その書き方もたいそう好ましい。また、トミー&タペンスものは、これ以降、長編4冊、短編1冊と書き継がれており、分かってはいた。
ただ、逆の印象だが、クリスティは単発もののつもりだったんじゃないかと思う。その後、読者のリクエストが多く、最初は、「二人の歳を合わせても45にもならなかった」のが、最後は共に75才になっているそうだ。何事にも始まりはつき物ということか。
"TOMMY, old thing!"
"Tuppence, old bean!"
The two young people greeted each other affectionately, and momentarily blocked the Dover Street Tube exit in doing so. The adjective "old" was misleading. Their united ages would certainly not have totalled forty-five.
The Big Four, 1927.
ポアロもの。ポアロとヘイスティングズが、国際的秘密結社ビッグ4と対決し、壊滅させるに至る冒険もの。ビッグ4は四人の首領からなり、世界に隠然とした勢力を誇る悪しき集団。
世に名高い『アクロイド殺し』(The Murder of Roger Ackroyd)の翌年の作品。成り立ちは解説に譲るとして、ビッグ4が次々に繰り出す策謀にポワロが立ち向かう。短編をグダグダに連結したような感じになっている。
珍作。
クリスティものとしては低く評価されることが多い。私もよい出来だとは思わない。元々、全く期待していなかったので、ショックもない。というか、クリスティ最大の駄作と名高い本書を読んでみたかったのだ。
本を読むときに、なるべく情報を仕入れないようにして読むという人がいて、基本的には同意だが、この本を読むのであれば、駄作の呼び声が高いことを事前に知っておいた方が良いようにも思う。
ポアロの兄アシール・ポアロや、他の短編に出てくる人が登場したりといったおまけはある。ポアロのファーストネームであるエルキュール (Hercule Poirot) はヘラクレスのフランス語読みらしい。ポアロの出身地であるベルギーの公用語はオランダ語とフランス語であり、ポアロはフランス語を良く口にする。
彼が「怠惰でなければ私より優れた探偵になったであろう」と形容する双子の兄アシール(Achille)はアキレス。もちろん、シャーロック・ホームズの兄で政府機関に勤めるマイクロフトのパロディだ。
クリスティの魅力は、魅力的な登場人物、特に女性の描写や20世紀前半のイギリスの描写だと思う。この本には、描写の魅力はない。トリックがあるわけでもない。駄作、珍作と評されるのも尤も。その代わり、次々に事件が起こり、場面が転換していく、気宇壮大(?)なホラ話なので、面白く読める人もいるかもしれない。
裏表紙に青春文学と記されているが、これは恋愛小説だ。恋愛は青春の特権かもしれないが。
本書は、主人公亜久間一人の幼少時から小学生、中学生、高校生、大学生までを描く。まあ、いずれにしても若いのだ。
第一楽章から第五楽章までで構成されていて、第四楽章「成熟」がキモとなり、第五楽章「ブロッケン山の模造人間」へと雪崩れ込む。雪崩れ込み方は流石だ。読者を選ぶ書き出しが難だが、ヒネクレモノにはこれだけのお膳立てが必要なんだ。
最初は地の文に抵抗感があった。軽薄さが古びてて(初出1986)ちょっと辛い。でも、幼少時から始まるのだ。叔母に「かっちょいいねえ」と云われるような時代から始まるのだ。若さって哀しいもので、醜くて滑稽なもんだ。そうだったじゃないか。私だけか?
そんで、いろいろあって、ちづると無定形な関係を持つ。ことここに至って、楽園小説と呼んでも過言ではない。若さって愚かじゃないか。俺だけか?つか、ちづるを持ち出すのがずるい。ずるい、超ずるい。
クライマックスは気が利いている。我慢してでも読む甲斐のある本だと思う。薄いし。だからといって、何か学べるわけでも、得られるわけでもないんだけどね。
今の私は
ダメだダメだ。強くなりたい。なんて、愚かの極みで、~たいってのがおかしい。~になるという意思の有無であって、マテリアルな実在に対して、~たいなんてのは、たら、ればを語るのと同じ不誠実だ。と思う。本書の主人公は「現実」に対して戦いを挑む。ここで云う「現実」とは、小市民的な社会常識のこと。戦いの道具は、自覚的自己韜晦。オナニストであったり、おかまであったり、ナルシストであったり、ショウマンシップであったり、詐欺師であったり。天邪鬼で二面的。小市民的な社会常識に対して、自己を屹立させて張り合おうとする。誠実さの追求なのだ。
先日読んだ村上龍も自己の意思にこだわる作家だ。村上龍が社会変革を目指す大乗的だとすれば、島田雅彦のそれは小乗的。出会いは異常なまでの没交渉の一人と一人のそれ。価値観の共有とか共感とか連帯とか、そういうものではなく、せいぜい云って追われるもの同士の逃避行。
その人の目を見たくて、美しいのだと思うのであれば、事実に対して真摯に向き合う覚悟の有無の問題であって、戦略を立てて改善策の策定/実施が先決じゃないのか。無知や弱さは言い訳にならない。そして口ごもる非コミュ非モテ。まずい、ヤヴァイ、超キモイ。喰いしばるなら歯が砕けるだけ喰いしばれってんだ。
若さってそんなもんだと思う。そして私は若くない。でも誠実さは普遍的なものだ。
第四から第五各章にかけては、フジ子・へミングのトロイメライをかけて酩酊しながら読んでた。面白かった。
今週はこんなん読みました。
20才の主人公ケンジは外人相手に新宿歌舞伎町の風俗案内で生計を立てながらアメリカへ渡る夢を持っている。大晦日までの三日間、奇妙な外人フランクからアテンドを依頼されるところから始まり、味噌汁に凝縮される日本社会に対する苛立ちが描かれる。
主人公の外への志向は村上龍の小説の多くの主人公に見られる。そういえば、そばに女性がいるというのも共通している。
村上龍は根本的なものを掴み取ろうとしているように思う。エピソードがエキセントリックになるのは、極端に押し進めることで、沈滞している何かを露わにしようという試みなのだろう。
村上龍の小説では、敵をあぶりだして圧倒的に破壊し否定することが多いように思うのだが、本書に敵はいない。対象はミソ・スープ。否定できないし、撃破できない。
これはこれでよい。他者との遭遇によって脆弱さを露呈させ、現状に対する苛立ちを、明確な対象を持った怒りへと変えていく。これはこれでよい。でも、銀の弾丸はない。一撃でしとめる弾丸はないし、叩くべき中枢もない。本書の表題やあやふやな登場人物にはそのことが表れている。
そういえば、村上龍の小説を読むとき、特定の人のことを思い浮かべる。そして自分を嫌悪する。
解説は河合隼雄。ユング派臨床心理の草分けだ。
らもワールド。中でも『ガダラの豚』の系統。
なのだが、手抜きだと思う。同じネタの使い回しはらもによくみられるが、これは劣化コピーだと思う。『空のオルゴール』って、良いタイトルだと思うのだが、中にも使えよ。
『超老伝 - カポエラをする人』とか『お父さんのバックドロップ』みたいな力の抜け方が評価できるのは短編、連作だからであって、長編でそれをやられると辛い。ネタも他のところで使ってることだし。
『ガダラの豚』は力の入った傑作だったと思う。『今夜、すべてのバーで』や『頭の中がカユいんだ』へ傾注したパワーがストーリー・テリングに注ぎ込まれていたように記憶している。その後、『水に似た感情』で似たようなネタを使っているが、これはイマイチだったと思う。で、本作も同じ。イマイチと思う。
地理的、展開的な変化は豊富で、登場人物も特徴的なキャラ設定。ヒロイン(?)のリカも魅力的。彼らは常に酒気を帯びている。あるとき、そうとう酒をきこしめしてクレイジー・ホースに繰り出す。リカはにこにこして云う。
「きれいなお姉ちゃんたちのおろり」
でも、何をキモに、どこへ向けて書いたのか分からなかった。小説としてはちぐはぐな印象。舞台設定で力尽きたのか。残念。
町田康の解説はよい。
Five Little Pigs, 1943.
ポワロもの。中期(1943)の佳作。
16年前の殺人事件の調査を依頼されたポワロが、当時の関係者に聞き込みを行い、被害者周辺の人物像を再構築していく。「回想の殺人」とカテゴライズされることが多い。
アシモフの『黒後家蜘蛛の会』も趣旨は同じだと思う。Black Widowers の執事ヘンリーの方が安楽椅子度は高いが。黒後家のクリスティ版を探すなら、未読だけれどもミス・マープルものの『火曜クラブ』なんだろうな。
非常に技巧的な構成でありながら、登場人物の描写が見事。男ってばかねって感じ。
関係者の5人はマザーグースの5匹の子豚に擬せられる。
This little piggy went to market, This little piggy stayed at home. This little piggy had roast beef, This little piggy had none. This little piggy cried "Wee! Wee! Wee!" all the way home.
明確な構成をとり、関係者は5人に絞られるので、舞台映えしそうな小説だ。実際、クリスティ自身の手によって、ポワロ抜きにして戯曲化 (1960) されているらしい。小説は次の三部構成。
物的証拠はないので、重層的な言葉の中から心理を浮かび上がらせていくところに醍醐味がある。クリスティは人を書くのが好きなのだと思う。心理サスペンスだけに焦点を当てた『春にして君を離れ』(1944)って傑作があるが、ミステリに適用すると本書のようになるのだろう。この系統で他にもあるだろうから、これから楽しみだ。
翻訳の語尾が聞き苦しく感じられることがあった。
Lord Edgware Dies, 1933.
ポワロもの。ポワロとヘイスティングズがエッジウェア卿殺人事件を調査するのだが、エッジウェア卿夫人が美貌の有名女優なので、関係者もみんな華やかで魅力的で怪しい。
クリスティの小説は、大きく分けて三つの系統があるように思う。
そして、ミステリも幾つかの系統に分けられると思う。その分け方の軸の一つに、人物の魅力がある。クリスティの本は、必ず魅力的な人物がいるものなのだが、エッジウェア卿夫人が凄まじい。ぶっとんでおって、途中でポワロも舌を巻く。天然への驚異というか、トリックスターとは、こうあるものだと思った。
訳者は福島正実。日本近代SF草創期に早川書房で活躍した編集者。海外SFを精力的に紹介した人。翻訳をしていたのだと初めて知った。調べてみると、好きな本では、ハインラインの『夏への扉』(ISBN:4150103453)、アシモフの『鋼鉄都市』(ISBN:4150103364)、ジャック・フィニィの『ゲイルズバーグの春を愛す』(ISBN:4150200262)とか。訳がうまいわけではないので、選択がよいのであろう。今まで気付かなかった。
今週はこんなん読みました。
Peril at End House, 1932.
ポワロもの。ポワロとヘイスティングズが、休暇で訪れていたイギリス南部のセント・ルーにて、快活なお嬢さんニックに出会う。ポワロはニックが命を狙われていると見て、命を守るべく奔走する。
詩人の田村隆一氏が翻訳している。クリスティ文庫で新装刊するにあたり、田村氏の訳は『アクロイド殺し』(ISBN:4151300031)をはじめとして、だいぶ訳しなおされているが、これは残った。多分、コストの問題で、全てを新訳にするわけにはいかなかったんだろう。とすると、これは優先順位から漏れたと思われる。
この本に限らず、クリスティを読むときは、謎解きやトリックには期待しない。魅力的な文物、人物を求めて読むのだ。だから、この本も、本格の謎解きとしては全く期待していなかった。
が、これは謎解きだ。だいたい、クリスティのやつは、最後の最後にどたばたと道具が追加されて、ばたばたと解決するものが多い。この本も、最後の方でどたばたするけど、ヒントは示されておって、謎解きの趣旨には反してない。
解決部の舞台設定が芝居がかっていてポワロっぽい。最後の最後もいい感じで、いずれにしても、クリスティは読後感が良いから好きだ。って、この本の読後感がクリスティものとして良いというわけではない。
The Mystery of the Blue Train, 1928.
ポワロもの。イギリスとフランスを結ぶ豪華列車ブルートレイン内で殺人事件が発生。偶然乗り合わせたポワロが調査に当たる。世界の至宝級のルビー「火の心臓」の行方や、不倫等の人間関係も絡んで重層的な作りになっている。
なんといっても、上品だし女性の表現が上手い、というか魅力的だ。特に、セントメアリミード村から出てきたキャザリン・グレイ女史のキャラクタ設定が素晴らしい。そりゃ惚れるわ。舞台は20世紀の前半なのだが、人物描写が現実的なのだ。体温を感じる。
人間関係を丁寧に描写したよい出来の作品だと思うが、列車ミステリものってわけではないし、本格推理って言われるとちょっとアンフェア、もしくはつまらないと思う。本書の魅力は人物描写と思う。クリスティもの全般を通して言えることだけれども。
Pride and Prejudice, 1813.
『高慢と偏見』(ちくま文庫)上下巻完読。主人公は五人姉妹の次女、エリザベス。親族からはリジーと呼ばれ、友人からはイライザと呼ばれる。舞台は18世紀後半もしくは19世紀前半のイギリス中流社会。この辺りが好きな人はど真ん中だと思う。
所謂家庭小説ということになるのだろうか。大雑把に言えば5人姉妹を抱えたベネット家の結婚物語で、舞台はイギリスの片田舎ハーフォードシャー。田舎紳士階級のベネット家の長女ジェーンと次女エリザベスが、独身の資産家ビングリーとダーシーと繰り広げる惚れたはれたの物語。なんて云うと読む気が失せるのだが、実際はかなり面白い。基本的にはエリザベスの一人語りになっておって、古さを殆ど感じさせないし、適度に批判的。おおらかな皮肉とユーモアが基調になった健康的な作品。サマーセット・モームが世界十大小説の一つに挙げたのも頷ける。
第一章から最高。手際よく状況を整理して読者を戸惑わせることがない。
なんて健康的。なんて健全。正気に返るハッピーな読書体験だった。お話はのんびりと続く。伸び伸びとしていて大らかで明るい雰囲気。登場人物は少なくないが、どれもキャラが立っており、翻訳推理物によくあるような人物紹介は不要。みんな魅力的。最上の読書の快楽の一つとして全ての読書子に勧める。
辛辣で明るい。大らかであけすけな感じ。オースティは人間観察とユーモアが類稀だそうだ。同感。登場人物がかっこよくて、とても健やかで憬れる。
エリザベスは損得ずくで嫁いだ親友のシャーロットの下を訪れ、帰り際に思うのだ。
かわいそうなシャーロット!彼女をこんな夫のところに残していくのはやりきれない!
なんて率直。
エリザベスみたいな人はいる。全てを行動で評価するということを是として始めるとして、行動は理性によってよく制御されていながら、その根本が自ずから本然のしからしむるところによって偽りのない人というのはいるものだ。よく整っていて美しくて善良だ。
そういう人は物理的形状としても美しいのも事実だ。骨と肉と皮ですら美しいと思う。そこにない面影を探すことですら甘美だ。一見にしてまあまあと見えても、それは誤解と観察力不足のためであり、それほどじゃないねという人に対して優越感を感じる。一瞥により構築されたゲシュタルトは当てにならない。写真一枚で人の顔は分からないということだ。
関心を抱かせ、他者をして興味を持って観察しむるのは、よく調律された精神である。自分を調律するのは自分だけであり、他者をして奏でさせるのはその人の精神である。表情、しぐさ、立ち居振る舞いを律するのはその人の精神である。
私がその美の快楽を享受できるかどうかは私に掛かっている。頼りないながらも誰にもお願いできない。努力しても成果が上がらないのであればそれは自分の責任であって、誰にも押し付けられない。成果が上がらなければ、単に努力が足りないという事実が明らかになったに過ぎない。世界の片隅でバカと呟いてもな。
私はどう贔屓目に見ても滑稽だ。よく云っても道化だ。観察と考察と検証の繰り返しが重要。直観を演繹して仮説を構築する構成力と、見聞する幸いに浴して得た事実を帰納して仮説を検証する観察力が問われる。この能力のない人は、そこにある美すら十分に享受できない愚か者ということだ。
少年少女文庫のような朴訥で優しい訳は狙ってのことかもしれない。未読了だが、他の訳も読みたくなった。ググってみると、新潮文庫から出ている中野好夫訳の『自負と偏見』の評判が良いらしい。
これは良い。
面白い。
前にもどこかで書いたが、この人は余韻まで含めて書いている感じ。
まず、穏やかに始まる序盤で一気に緊迫感を高める手法が上手い。
この人の本はどれを読んでも面白いのがすごい。その中でもムラが大きいのだが、それでもそれなりに面白いし読みやすいのだから良いと思う。なかでも、この本はものすごく面白い。他愛ないかもしれないが。
彼女は人物描写が魅力的であり、読んでいてつい引き込まれる語りの上手さがある。言葉の選び方も丁寧だ。古典のような端正さとは違うが、やわらかくて受け入れやすい。
やり切れない閉塞感。淡々とした叙述。漫画でも映画でもアニメでもよいような物語とは違う、読書の楽しみに耽溺させてくれる稀有な作家だ。彼女の特徴は静謐さと余韻だと思う。
エンディングに不満を感じた。これは余韻に逃げたようにも思う。次に読むのは『模倣犯』だな。
今週はこんなん読みました。
Warm Worlds and Otherwise, 1975.
J・ティプトリー・ジュニアを初めて読んだ。
素晴らしい。
この本は短編集。どれも良いのだが、『接続された女』、『男たちの知らない女』、『最後の午後に』が好きだ。描写が冴え渡る。救いがたいほどの現実感。圧倒的な存在感。
ティプトリーは、緻密さや論理性に耽溺するわけではない。語りに耽溺するわけでも饒舌なわけでも流麗なわけでもない。事実をただ描写するのだ。ここにあるのは現実の心象風景。圧倒的な喪失感。疎外感。絶望のハードボイルド。永遠に続くシニカルヒステリーアワー。
自己疎外の行き着く先は用なし人間だ
SFには色々な流儀がある。アシモフがありホーガンのハードSFがあり、ギブスンのサイバーパンクがあり、ニーヴンのスペースオペラがある。ディックが、スタージョンが、ブラッドベリが、ル=グインが、ディレイニーがいる。最近では、イーガンが、ソウヤーが、テッド・チャンがいる。数え切れないほどの人々がいる。
ティプトリーは間違いなく本物だ。SFの根本は、誰も見たことのないものを見せる思考実験だとするならば、ティプトリーは真っ向勝負のど真ん中。
今週はこんなん読みました。
The Pillars of the Earth, 1988.
SB文庫(ソフトバンク)というのを初めて買った。
時は12世紀ルネッサンスの1123年から1174年迄。所は王位を巡る戦乱のイングランド。話は大聖堂建築を中心に綴られる。上中下巻の大河物語だ。
次々に問題/陰謀が持ち上がり、それを主人公たちがプロジェクトマネージメント的手法/姿勢でもってズバズバと解決していく。
スケールが大きく面白い物語だ。個として立ち、内省的な登場人物たちも良い。人生を無駄にしたの